ソムリエの追言「ヴィンテージについて 同じ畑で同じ造り方なのに・・・毎年味が違うのか?」
ソムリエの追言
「ヴィンテージについて 同じ畑で同じ造り方なのに・・・毎年味が違うのか?」
【1946年イナゴの襲来】
「酔っぱらいよ。目をさまして、泣け。すべてぶどう酒を飲む者よ。泣きわめけ。 甘いぶどう酒があなたがたの口から断たれたからだ」「かみつくイナゴが残した物は、イナゴが食い、イナゴが残した物は、バッタが食い、 バッタが残した物は、食い荒らすイナゴが食った。」
ヨエル書1-3章 「主の日」より。
ボルドーのヴィンテージ・チャートをさかのぼって見ていると、 まさにこんな聖書のような出来事が発見できました。 1946年 ボルドーの畑はイナゴの襲来を受けて大打撃を受けました。
天候不良の悪いヴィンテージは、たまに聞きますが、これはビックリです。
前年の1945年は、世界大戦終戦の年で、天の賜りものと称されるほどの 偉大な ヴィンテージでした。20世紀でも最高のヴィンテージの一つです。 ただし、戦争の影響があって、収穫量は少なかったようです。
こんな、極端な例はさておき、 ワインのヴィンテージというのは、
同じ畑で同じ造り方をしているのに、年ごとにそんなに味が違うのでしょうか?
【ワインは農産物そのもの】
ブドウの収穫は、過去の実績もありますが、糖度、酸度、果実の重さを測定して決まります。なので、毎年収穫日が違う。 ボルドーなどは、県知事が許可日を発令します。 つまりは、成熟の度合いが違うということ。 植物の1年は、同じ繰り返しでありながら 太陽の日照量によって、サイクルのスピードが替わるのですから。
生成される成分も成熟度合いによって異なり、出来るワインも異なってきます。 熟して、糖度が高くなれば、それだけアルコール度数の高いワインが。 一方、熟せば熟すほど、酸味が減っていきます。
若木と古木のつける実も、根の深さなどの影響で違うといわれています。
ブドウの樹も、人間と同じように歳を重ねていくわけです。
忘れがちですが、ワインはブドウそのものから出来る農産物なのです。 ですから、 「二度と同じワインはつくれない」と造り手はいいます。 一方で、 「あの年に似ているから、こう造ったが、もっと違うやり方 があったのではないか・・・」 教訓や経験上の対応、そして、新しい技術の導入。 常に、より良い方法はないかと、模索しているわけです。
こうしたことで、毎年違った味わいのワインが出来上がります。
【ヴィンテージなんかどうだっていい?】
ただし、「ヴィンテージなんかどうだっていい」と著名なワイン評論家の ヒュー・ジョンソンが2007年に問題発言(?)しています。 長年、ワインのガイドブックを執筆し、個々のワインの紹介、 ヴィンテージの紹介をしてきた人物です。彼いわく、栽培技術の進歩により ある程度の天候不良や病虫害に対してブドウが 大きなダメージを受けたりすることはなくなっている。 という意味合いを、大げさに(?)に発言していると思われます。 そして、それを補う醸造技術もあるわけです。
そう考えると、例えば2006年、2007年、2008年の差は さほどないように思えます。
【熟成したときに判る】
確かに、近いビンテージを同時に比べて飲んでみてやっと判る味わいもあります。しかし、一番の違いは、良い年と悪い年の差における「熟成」でしょうか。
良い年と悪い年の差は一言で表せば、味わいの濃淡(のうたん)。 味の系統は同じで、良い年は濃厚、悪い年は淡い。 良い年は成分が濃厚なため、酸化に対して強く、ゆっくりと熟成していく。 対して悪い年は、成分も淡いので、酸化に対して強くなく、 熟成のスピードがより速い。
はじめに差がないと思われた味わいも、時間の経過で熟成の差がつきます。
熟成した段階では、味わいの差は歴然です。
この点をうまく利用すれば、悪い年「オフ・ヴィンテージ」で、早く熟成した旨味のある ワインを楽しめるわけです。 先の3つのヴィンテージなら、2006年よりも2007年が早く熟成するでしょうか。
【均一化?画一化?】
結局、ワインが市場に出た時点では、 昔ほどヴィンテージの差がなくなってきているというのが現状です。そればかりか、栽培技術・醸造(じょうぞう)技術の進歩もさることながら、 「売れる」ワインつくりを目指すことから、最近は 似ているワインが多くなってきているともいわれています。
でも、よく見れば、必ず味の違いはあるわけで、その違いは マニアックなワイン通にとって興味深いところでもあります。 そして、ワインにそれほど詳しくない人にとっては、 買ったワインがいつも味わいが安定しているほうが、安心できるのかもしれません。
ワインが農産物から、加工農産物に変わってきているのかも知れません。
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