外交官 第10話 「違い」はインスピレーションの源
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
第10話 「違い」はインスピレーションの源
外国に住んでいて面白いことは、日々日本と違うところを発見することだ。その違いというのは、だいたいどれも日本にいては気が付かないものだ。だから「面白い」と言ったが、もちろん、気分的には面白くない場合だってある。
次回に旧ソ連での経験などについて書くエピソードの中にはそういうものもあるが、その場合には、反面教師となって自分の行動や日本にとって参考になることがあるから、広い意味で役に立つ。そのことも面白いと考えるべきだ。
人によっては、外国にいて日本と違うところが出てくると、「いやだなあ」とか「それはおかしい」と思ったりする。「変なやり方だ」と思ってしまうとそれまでで、自分自身も面白くない。
ちょっと心を開いて、「へえ~、そんなやり方があるのか、なぜそうなのか」と考えてみるといろんなことがわかってくる。ときには、日本で思いつかなかった興味深い考え方や対処方法を発見したりする。だから、「違い」はインスピレーションの源だと言ってもいい。
ポーランド・グダンスク風景
(Mercure Hevelius Hotel からSt. Mary's Churchを臨む)(2005年7月23~24日)
例えば、アジアやアフリカの国などに行って見ると、時間の感覚が凄くゆったりしている。約束時間に1時間や2時間遅れるのは珍しいことではない。先進国だって、列車の発着などはしばしば遅れる。日本人から見ると随分いい加減だと思うが、皆のんびりしていて、あまり文句は言わない。
ちょっと遅れると、その瞬間ではすごく腹が立つけれど、人生長く見ればどうということがない場合が大部分だ。
いつも急いでいてイライラする日本人と、のんびり構えて幸せそうな海外の人々の「幸福度」には大きな差がある。
日本人と韓国人はともに箸を使って米のご飯を食べ、みそ汁を飲む。しかし、その食べ方はかなり違う。韓国では、金属のご飯茶碗や箸を使う。茶碗は手に持たずテーブルの上に置いたままだ。
ご飯を掬うのもだいたい匙を使う。その匙で汁も飲む。日本人の感覚では行儀が悪く見えるが、韓国の匙の柄は長いので慣れると匙の方がずっと使いやすい。日本人がご飯茶碗やみそ汁の椀を手に持って食べるのは、韓国人から見ると行儀がよくないらしい。
要するに価値や文化は相対的なもので、自分が生まれ育った文化体系や基準だけが正統だと考えるとうまくいかないことがある。文化や価値の相対性を謙虚に認めることがお互いに大事だ。そうすると、「違い」というものが興味深く見え、時にはその違いから何かを発見することもある。
ザルツブルグ風景(1984年8月25日)
「違い」に関連して、「常識」というものについて考えてみたい。
常識は本来自分本位の考え方である。日本や欧米の常識はアフリカなどでは通じない「非常識」になることもある。
我が国の卑近な例でいえば、日本の学校の運動部などでは体罰がかなり広く行われてきた。指導者や上級生は、ある程度の体罰は選手を強くするために必要だと考えて、そうしたやり方を踏襲してきた。極端な暴力は別として、ある意味で常識的なものとなっていた。
しかし、そのような指導方法は欧米社会では通じない非常識なやり方だ。最近の柔道界の不祥事に関連して、女子柔道家の山口香さんは、「柔道界の常識は世間の非常識」と語ったことがある。
ともあれ、自分が考える常識は他の世界では通用しないことが少なくないことを知るべきで、考え方や価値観に上下をつけることは好ましいことではない。
これから、いくつかの国で学んだことを書いていく。
日本との違いが、日本にとって参考になることが多いからである。
日本では想像もできない貧困の中で、カンボジアの人々が眼を輝かし幸せそうにいることを「発見」して、幸せとは何かについて考える機会を得た。
所得の半分を税金でとられたうえ、消費税(付加価値税)25%を負担するデンマーク人は、世界で一番幸せだと感じている。それは、一生安心して生活できるこの国の仕組みを喜んでいるからだが、消費税を8%にするのもなかなか大変な日本にとってインスピレーションのひとつだ。
王宮前広場(プノンペン)(2002年9月22日~28日)
フランスについて書いたように、個性の発揮は必ずしも自分勝手というわけではなく、自分の生活を豊かにする面がある。どれも、日本との違いからくる面白さといえる。
外国生活のお蔭で、日本だけの考えに囚(とら)われないで物事を相対化してみることが大事だと悟るようになった。そう思えるかは心の持ち方によるのではないか。
心が開いていれば、面白いことがいっぱい見つかる。その面白い発見が自分の考え方の糧(かて)になって、人間の幅を広げてくれ、難局に差し掛かっても対処の仕方をいろいろ考えることができる。日本だけの価値観に固執せず、どの国も敬意を払うべきそれぞれの価値観があると考えることは、謙虚さを示すものでもある。
謙虚さは、日本人がもつ良い特質でもある。
次回は、先ず旧ソ連時代の体験談から始めたい。
【小川 郷太郎】 現在 |
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