私と柔道、そしてフランス… - 第四十六話 研修を経てフランスへ-
早大柔道部OB
フランス在住
- 第四十六話 研修を経てフランスへ-
風戸社長自らの手になる私の研修スケジュールは、約半年にわたるものでした。
その要旨は、まず当社の主要機器である透過型/走査型電子顕微鏡、核磁気共鳴装置、アミノ酸アナライザー、データ処理用コンピューター等の原理や用途を担当エンジニアからレクチャーしてもらい、機器別営業部員に同行して市場での営業活動を把握することでした。
その上で、フランスに発つまでの数ヶ月間、営業部員として新顧客の開拓にあたることが課せられました。
さて、主要機器についてのレクチャーでは、エンジニアの口から専門用語や機器の性能を表すとんでもない数字がどんどん飛び出し、大いに戸惑いました。例えば、当時の高性能電子顕微鏡の分解能(注1)は1.4 オングストローム(注1)といった具合で、質問する間もなく次から次へとこんな言葉・数値が繰り出されるのです。
営業部員に同行しての客先訪問が始まって大変驚いたのは、彼ら営業部員のほとんどが文系出身だということです。にもかかわらず、大学や企業などの研究所で、その道の専門家を相手に堂々と機器を紹介し、技術的なディスカッションをするのです。“人類のためになる”科学分析機器の販売に従事していることを、彼ら一人ひとりが誇りに思い、よく勉強していることが伝わってきたものです。このことが、少々自信を失い始めていた私に活を入れてくれました。
電子顕微鏡には主に2種類あって、走査型は試料の表面の拡大像を得るためのもので、透過型は試料に電子線を照射し、透過してきた電子の拡大像を得ることによって、試料の構造や構成成分を特定するためのものです。
日本電子㈱が走査型電子顕微鏡を発売したのが1966年。世界的な市場があるとされた先端的な機械で、話題の機械ではありましたが実際に納入された数は少なく、画像を見たことのあるお客様もまだ少ない状態でした。
12月末からはいよいよ本格的に営業活動を始めました。比較的紹介し易い、走査型電子顕微鏡の東大工学部・農学部担当セールスマンとして、本郷の赤門をくぐり、工学部と農学部の研究室を片っ端から訪れました。どの研究室でも丁寧に話を聞いてくれたことにただただ感激したものです。
話が前後しますが、入社間もない9月半ばには、フランス留学時代にフランス語トレイナー役を担ってくれたマルレーヌ・ブランシャールがソ連ルートで来日。
12月には、結婚式を挙げました。当時の国際結婚は珍しく、海外勤務者の多い日本電子社内でも国際結婚第一号でした。
披露宴には、一時帰国中の富賀見真典先輩をはじめ、1966年に帰国して家業を手伝っていた大国伸夫君、ユニバーシアードで銅メダルを獲得してその後日本で修業を続けていたジャン=クロード・ブロンダニ、ピエール・ギシャール、さらに、マルレーヌと共にソルボンヌ大学柔道部仲間のフランシス・ピザニ君(当時在日フランス大使館に勤務)等々も馳せ参じてくれました。
(注1)
分解能:接近した二つの点や線を分離して見分ける能力。
(注2)
1オングストローム=1億分の1センチメートル
次回は「第四十七話 五月革命前夜のパリへ」です。
【安 本 總 一】 現在 |
▲ページ上部へ