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私と柔道、そしてフランス… - 第四十二話 早とちりだったのでしょうか?-

【安 本 總 一】
早大柔道部OB
フランス在住
私と柔道、そしてフランス…
2019年4月25日

- 第四十二話 早とちりだったのでしょうか?-

  少々後ろ髪を引かれる思いで、ロンドンを後にしました。と同時に、この時期に就職するなどとはそれまで少しも頭にありませんでしたので、戸惑いと期待が交じり合った複雑な気持ちもありました。

 そして、パリ郊外ルエイユ・マルメゾン(Rueil-Malmaison)にある日本電子(JEOL/Japan Electron Optics Laboratory)ヨーロッパ本部を訪ねました。竹内支配人に、冒頭、「いつロンドンに戻るの?」と尋ねられたので、「ロンドンは引き払ってきました」と答えると、とても驚いた様子で「私の家でゆっくり話そう」と言われたのです。

 さすが鈍感な私にも、風向きが大分ちがうことが、想像できました。私の“早とちり”だったのではないかとの思いが頭をよぎりました。

ルエイユ マルメゾンの日本電子(JEOL)展示場
【ルエイユ マルメゾンの日本電子(JEOL)展示場】

 日を改めて会った支配人からは「今すぐ来てもらうことは可能だが、今のヨーロッパ本部には仕事としては単純作業しかなく、君の将来を考えると帰国して正式に日本で採用してもらった方が良い。社長には君を推薦しておく」とのこと。

 いわゆる「現地採用」の功罪については周りから色々聞いていましたが、自分のこととして聞くのは初めてでした。また、特殊な理科学機器を扱う会社で私に何ができるのだろうと、自問自答していたところでしたので、支配人の話に充分納得しました。

 ただ、当社を知る絶好の機会なので、一ヶ月ほどアルバイトをさせて欲しいと願い出たら、これも快く承諾してもらえました。

 翌日から、前述のヨーロッパ本部に通い始めました。そこにはフランス現地法人、西欧本部、東欧本部の三つの組織が同居していて、数十名の日本人と十数名のフランス人が働いていました。 当時のヨーロッパでこれだけ多くの従業員を抱えた日本企業はまだまだ少なかったと記憶しています。

  私の主な仕事は、海外出張や客先に赴く日本人役員・社員の社用車での送り迎えでした。また機械の通関に立ち会うために、やはりこの社用車でルアーヴル港へ出張したこともありました。1965年にフランスで取得した運転免許が早速役に立ったのです。

 また、機械の設置・メンテナンスを担当するエンジニアから、客先での通訳を頼まれることがありましたが、まず日本語の専門用語や技術用語が理解できず、通訳役は果たせませんでした。これはショックでした。付け焼刃で入社しても、なんの役にも立てないことが良く分かりました。

  とにかく、電子顕微鏡以外の機械はそれまで聞いたこともないものばかりで、電子顕微鏡にしても、中学時代に科学の授業で覗いたことのある光学顕微鏡を少し大きくしたものぐらいを想像していましたが、とんでもない! ルエイユ・マルメゾンの社の展示場でそれを見てビックリしました。最も普及している機種でも2メートルはあり、その性能も理解を越えた値でした。

  日本電子がどれだけ世の中に貢献しているかが想像でき、当社への興味が強くなっていきます。

   そして、幸いなことに、この間に風戸健二創業社長が来仏、「東京で会おう!」と声を掛けてもらいました。

  こうした貴重な経験をしながら、帰国の準備を始めました。

 次回は「第四十三話 帰国、そして就職!(その一)」です。


筆者近影

【安 本 總 一】
現在




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