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私と柔道、そしてフランス…- 第四十一話 就職か、イギリス滞在続行か? 悩みました!-

【安 本 總 一】
早大柔道部OB
フランス在住
私と柔道、そしてフランス…
2019年4月11日

- 第四十一話 就職か、イギリス滞在続行か? 悩みました!-

  くだんの「7人掛け」が終ると、嬉しいことに、パーシー・セキネ氏から「JUDOKAN」での指導日を増やすよう、要請がありました。さらに、別の二つの道場から指導の依頼が入るなど、生活にも余裕が出てきて、前述の木村三郎君などの若い仲間と、美術館・博物館回り、ハイキング、ドライブに頻繁に出かけるようになりました。

若い仲間達 木村君・前列左から二人目、安本・後列
【若い仲間たち 前列左から二人目:木村君、後列:安本】

  そんな中、パリでイギリス渡航について貴重な助言をいただいた富永雅之さん(cf.第三十三話)から突然電話がありました。彼はエール・フランスから「日本電子(株)」に転職していて、イタリア支社の責任者を務めていました。

  富永さんの説明によると、東京昭島市に本社を置くこの「日本電子(株)」という会社は、一般的には余り知られていないが、世界有数の理化学機器メーカーであり、電子顕微鏡の輸出第一号がフランスに納入されたことから、ヨーロッパの前進基地をすでにフランスに建設して、そこで多くの日本人が活躍している新進気鋭の企業だということでした。

  富永さんは以前から「いつか一緒に仕事をしよう!」と言ってくれていましたが、機が熟したというのです。日本電子・西欧担当の竹内隆支配人(後の本社社長・会長)がロンドンに行くので、取りあえずその面接を受けなさいという電話でした。「安本君のことは充分支配人に話してあるから、気軽に会いなさい!」と。

 あまりに急な話に、狐につままれたような思いで竹内支配人に会いました。そして、長時間にわたりとてもリラックスした雰囲気の中で、「日本電子㈱」創業社長・風戸健二氏に対する尊敬の念、当社の科学技術への貢献度について熱く語ってくれたことを鮮明に思い出します。

  そして、最後に「早くパリにいらっしゃい」と言われたのです。私はただ「パリ支社の様子を見にいらっしゃい」ぐらいの社交辞令と捉えましたが、富永さんに相談すると、それは間違いなく“採用”の意味であるという...。

  この時点では、イギリス滞在を始めて一年も経っていませんでしたので、すべて中途半端であったことは間違いなく、突然沸き起こった“就職”の話に戸惑うばかりでした。

日曜日の朝 ハイドパークの一景
【日曜日の朝 ハイドパークの一景】

 もちろん、語学学校で知り合った日本人留学生や前述の若い仲間たちに意見を求めました。結果は私の予想に反して、異口同音に「受け入れるべき!」でした。

 留学生が抱える深刻な問題は、帰国後の“就職”にあることを、この時初めて知りました。在学中は学校の就職部が就職活動を支えてくれますが、卒業すると、この恩恵が全く受けられなくなります。その上、その頃の日本では「新卒一括採用」が主流というか、それしかない時代で、「中途採用」を取り入れている企業はごくごく稀であり、帰国後は、個人の伝手、職安(ハローワーク)を頼りにせざるを得ない状況だったようです。

 こんな理由から、彼らにとっては、一流企業からの“お誘い”を断るなどは、暴挙に近いものと思えたのでしょう。「英語の勉強などは、就職してからでも続けられるでしょ!」などとも言われました。

 こんな声に押されて、意を決してパリに戻ることにしました。1967年4月のことだったと記憶しています。

 出発の日、下宿先のシュミットさんが「フランスなんかに行かないで!」と涙を流さんばかりだったのを思い出します。彼女は数ヶ月前に夫を亡くし、娘さんは結婚して独りになっていたのです。

 次回は「第四十二話 早とちりだったのでしょうか?」です。

ロンドン郊外で見つけた不思議な建物
【ロンドン郊外で見つけた不思議な建物】

筆者近影

【安 本 總 一】
現在




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