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私と柔道、そしてフランス…- 「第四十話 忘れられない人々 (その三)」-

【安 本 總 一】
早大柔道部OB
フランス在住
私と柔道、そしてフランス…
2019年3月28日

- 第四十話 忘れられない人々 (その三)-

  ロンドンに住み始めて間もないある日、RENSHUDENで渡辺先輩から日本人青年を紹介されました。木村三郎君です。彼は鳥取(?)の高校を卒業後、ロンドン在住の姉夫婦を頼って来英し、生まれて初めてRENSHUDENで柔道を習い始め、すでに軽量級の大会で活躍していました。

  私がビックリしたのは彼の柔道そのものでした。“体捌き”はもちろん、小さい身体から繰り出す技は、高校・大学時代の私のライバル・芳垣修二君(中大卒)の柔道を彷彿させるものがありました。芳垣君は1962年「講道館80周年記念第一回全日本柔道体重別選手権大会軽量級」で優勝した業師です。不器用な私は、どんなに努力しても芳垣君の柔道には近づけませんでした。ましてや、日本では一度も稽古したことのない木村君の柔道が、正に私がイメージする「日本人による、日本人の柔道」そのものだったことに、ほとほと感心しました。

  木村君のお姉さんは在英日本大使館に勤めていて、まだ柔道の指導先が決まってない私に、大使館図書室のアルバイトを紹介してくれました。難しい状況に置かれていても、いろいろな形で解決策が向こうから駆けつけてくれるその“幸運”に感謝しつつ、引き受けました。 相当数の蔵書の整理・整頓が仕事でした。

  木村君の義兄のケンジ・タカキさんとも頻繁に会うことになり、その度に彼はその波乱万丈な人生を熱っぽく語ってくれました。

  彼は愛媛で生まれ、一攫千金を夢みて商船の乗り組員となり、世界を渡り歩いた末、30台前半にイギリス・リヴァプールに到着。間もなくイギリス国籍を取得してイギリス海軍の商船部隊に入隊。そして、第二次世界大戦初頭にはドイツ軍の捕虜になり、収容所へ。

  収容所には大戦終了まで抑留されていましたが、その間、ルーレット台を作り、ディーラー(注1)として儲けた金を収容所のドイツ人看守への賄賂として使い、自身及び収容所仲間に対する待遇改善、及び退屈な収容所生活を活性化させることに大いに寄与したとのこと...。

ランプシェイド
【ランプシェイド】

  大戦終了後は、イギリスの日本人ビジネス社会で盛んになった「ランプシェイド(ランプの笠)ビジネス」に参入します。日本人の器用さ、芸術的センスを生かした彼の「Modern Lampshades」ブランド製品は、エリザベス女王や皇太后に気に入られるまでになります。

  さらに、その後、エンターテイメントの世界に入り、数々のイギリス映画・演劇に出演。私はイギリス滞在中、彼出演の映画を2本観ました。

・「アリスのような町(A town like Alice) 」:1956年公開。1941年に起きた悲劇「マレー死の行軍」を題材にした問題作。案内役の日本人軍曹をケンジ・タカキが好演。演劇にもなり、話題になりました。
ケンジ・タカキさんが演じる”日本人軍曹”

【ケンジ・タカキさんが演じる”日本人軍曹”】
・「素晴しきヒコーキ野郎(Those magnificent men in their flying machines)」:1965年公開。ロンドン‐パリ間の飛行機レースが舞台の喜劇映画。日本代表ヤマモト(石原裕次郎)を支える謎の長老役をケンジ・タカキが演じています。
日本代表”ヤマモト”を演じる石原裕次郎
【日本代表”ヤマモト”を演じる石原裕次郎】

  名前は忘れましたが、1965年頃ロンドンに滞在していた著名な作家が、その後「文芸春秋」にケンジ・タカキの人生を大きく紹介しました。文字通り小説のようなタカキさんの人生に心を動かされたのでしょう。

(注1)
ディーラー:ルーレットを回したり、勝った人の配当額を瞬時に計算してチップを配るのが主な仕事。ここでは、”タカキ・カジノ”の経営者!

 次回は「第四十一話 就職か、イギリス滞在続行か? 悩みました!」です。


筆者近影

【安 本 總 一】
現在




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