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私と柔道、そしてフランス… -「第二十六話 オーブレ氏のこと」 -

【安 本 總 一】
早大柔道部OB
フランス在住
私と柔道、そしてフランス…
2018年9月13日

「第二十六話 オーブレ氏のこと」

  毎日、パリのINSで試合のような稽古を続けていましたが、ときには連盟からの要請や柔道クラブからの依頼で、地方に指導に出かけることがありました。

  とくに、ノルマンディー地方の グランヴィル(Granville)の道場から声がかかるときは、必ず4人の若手のコーチ全員(富賀見・大国・伊藤・安本)で馳せ参じることにしていました。と言うのは、この道場の創設者フォルテュネ・オーブレ氏(Fortuné AUBREE)(1900年~1980年)に、多くの日本人が言い尽くせないほどお世話になっていたからです。

  例えば、フランスで生活に困窮した日本人や、日仏学生柔道協会から派遣されても定住地を与えられず股旅暮らしを強いられていた先輩達が、ずいぶん面倒を見てもらったようです。3年間もお世話になり続けた豪傑もいたとのことです。

  日本での柔道修行を希望するフランス人の渡航費・生活費まで援助していたことでも、知られています。

  オーブレ氏はこの地方では有名なビスコット(注1)会社の社長でした。だからこそ可能だったのでしょうが、住まい、食事、ときには生活費/お小遣いまで、嫌な顔一つせずに施されていたと、家族全員が証言しています。

グランヴィル道場で
【グランヴィル道場で】

  彼は、大正初期に9年間日本に滞在し、横浜の町道場で柔道を習い始めてから数年後には黒帯=初段になったそうです。「たぶん、自分がフランス人の黒帯第一号だろう!」と誇らしげに語っておられたことを昨日のように想い出します。 同時に、「日本の方達には大変優しく親切にしてもらった。そのことは片時も忘れたことはない。 今、その恩をお返ししている」とも。

ノルマンディ 米兵墓地にて 右から、安本・オーブレ氏・大国・富賀見
【ノルマンディ 米兵墓地にて 右から、安本・オーブレ氏・大国・富賀見】

  ところが、数年前に知ったのですが、フランス柔道界では、1939年に初段になったモーリス・コットゥロー氏が、“フランス黒帯第一号”であると一般に言われていたのです。

  それを知ってから、私はフランスの柔道関係者に会うたびに、オーブレ氏こそが“フランス黒帯第一号”の可能性が高いと、声を高くして言ってきました。

  その思いが通じたのか、ある日、フランス柔道連盟ノルマンディー支部の役員イヴ・エリオット(Yves ELIOT)氏から連絡がありました。彼はノルマンディー地方における柔道史を研究していて、とくに、ノルマンディー柔道のパイオニアであるオーブレ氏についての情報収集に情熱を注いでいました。

  そして、オーブレ氏が“フランス黒帯第一号”であるという証拠探しに、私に協力して欲しいと言うのです。

  エリオット氏は、調査の課程でオーブレ氏のお嬢さんのインタビューに成功していて、すでにかなりの情報を得ていました。しかし、黒帯取得については、証拠がないとただの噂にすぎないとして、必死に各方面に問合せていました。私も、一時帰国の折、講道館の資料室に赴き調査しましたが、一歩も前進できませんでした。

  数年前、オーブレ氏が亡くなったとき(1980年)、地元の新聞“Ouest France”の「おくやみ欄」に、「オーブレ氏は1919年(19歳)に黒帯を授与され、フランス黒帯第一号になった」と明記された記事を、エリオット氏が発見しました。

  エリオット氏は、この死亡記事はオーブレ氏の黒帯取得の証拠にはならないとしながらも、一応状況証拠はそろったとして、オーブレ氏の一生を小論文にまとめ、一年ほど前にネットにアップしました。そこには、「事実は小説より奇なり」を地でいく記録が盛られていました。その主なものをご紹介しますと:

*日本で布教活動をしていたゲラン神父に幼少のころ出会い、日本に興味を持つ。    
*1912年、12歳で神父に同行して、日本へ。
*1888年に暁星学園の分校として横浜に開校されたセント・ジョゼフ・カレッジ
       に入学。1919年卒業。   
*1919年:柔道初段を授与され、“フランス黒帯第一号”となった可能性大!
*1921年:帰国。
*1948年:ビスコット会社設立。
*1954年:グランヴィル柔道クラブ(Judo Club de Granville) の会長に就任。
*1980年:死去。

  その後、現在フランスで柔道の指導をされている菊地英之さんの指摘で、エリオット氏が集めた資料のひとつ、当時の雑誌『柔道』大正8年(1919年)5月号の講道館記事を精査した結果、フォルテュネ・オーブレ氏と思われる「ホルツネ・オウブレー」が「一級」を同年3月に取得したことが記載されていました。私もそれをこの目で見ました。

  「一級」とは「初段」直前の階級です。オーブレ氏はそれから2年間ほど日本に滞在し続けますので、この間「試合審査」を受ける機会は頻繁にあったでしょうし、オーブレ氏の通っていた道場の道場主が、“初段の実力あり”と認めて推薦すれば、「試合審査」を経なくとも初段を取得できたと思います。よって、間違いなく1919年中に「黒帯」になっていたと、確信しています。 

母親に送った黒帯姿の写真
【母親に送った黒帯姿の写真】

  いずれにしても、柔道修業中の者にとって、この「初段=黒帯取得」は、それはそれは嬉しいことです。それは日本でもフランスでもかわりません。

  オーブレ氏も、写真館で撮った黒帯姿の写真を、喜び勇んで直ちに両親に送っています。そのうちの一葉は、黒帯姿の日本人とのツーショットで、オーブレ氏の“初段取得”の証人になり得る人物ですが、残念ながら、この日本人が誰であるかは特定できていません。

父親に送った黒帯姿の写真
【父親に送った黒帯姿の写真】

(注1)
ビスコット:“ビスケット”ではありません。2度焼きして水分を極力減らした、“フランス版の乾パン”です。主に朝食として供されます。

次回は「第二十七話 稀有な経験と嬉しい出会い」です。


筆者近影

【安 本 總 一】
現在




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