RSS

私と柔道、そしてフランス… -「第十三話 いよいよフランスへの船出」 -

【安 本 總 一】
早大柔道部OB
フランス在住
私と柔道、そしてフランス…
2018年3月15日

「第十三話 いよいよフランスへの船出」

  1963年8月初旬フランスから「招聘状」「滞在費保証書」が届き、早速渡航手続を開始しました。その複雑だったこと! 海外渡航自由化(1964年4月)前のことで、パスポートは留学・仕事以外の目的では発行されなかった時代です。

 その複雑な渡航手続を、私は次のような手順で、すべて自分で足を運んで行いました:
・外貨の申請:日本銀行に外貨使用の許可(承認)を申請
・パスポート申請:申請書・身元申告書・写真・外貨許可書(承認書)・招聘状・滞在 保証書の提出
・予防接種(天然痘・黄熱病・コレラ・腸チフス等)
・在日フランス領事館で査証の申請・取得。
・パスポートが交付された時点で、それを持って日本銀行に行き、持ち出し許容額 300ドル(1ドル=360円)のうち、200ドルを、長年アルバイトで貯めた資金で購入する。 

 また、パリまでの旅を、空にするか、海にするかを決めなくてはならず、運賃を調べたところ、その高さに驚愕しました。南回りのプロペラ機(30時間以上の空の旅)の航空運賃がなんと片道約24万円、貨客船の3等船室(船旅1ヶ月・全日食事付)が片道約12万円だったと記憶しています。

 人事院の「行政職俸給表」によりますと、この年の大卒の国家公務員の初任給が17,100円、2015年は181,200円ですので、これを元に現在の貨幣価値に換算してみますと、飛行機の場合は約240万円、船の場合は約120万円にもなります。

さらに、この項を書くに当たって、当時の“旅費”について色々調べていたところ、「JTB総合研究所」の「海外渡航自由化50周年に向けて」というコラム(2014年2月12日付)を見つけました。これには、<自由化(1964年4月)直後の「第1回ハワイダイヤモンドコース旅行団(7泊9日・全日食事付)」の旅費は36万4千円で、当時の同社の大卒新入社員1年半分の給料に当たる>との記載がありました。

  旅費を負担してくれるという協会からは「空でも海でも良いよ!」とのありがたい言葉をもらいましたが、第一次派遣の先輩方などの意見を聞いた上で、1963年(昭和38年)10月14日に、横浜港から出航するフランスMM汽船で出発することに決めました。当社は、その当時、ヴェトナム号・ラオス号・カンボジア号の3隻の貨客船を就航させており、我々は、ヴェトナム号で一ヶ月の忘れ難い船旅を楽しむことになります。

フランスMM汽船「ヴェトナム号」
【フランスMM汽船「ヴェトナム号」】

船旅のメリットの一つは、船内持込み荷物の重量制限がないに等しいことで、父が苦労して浅草で買い求めてきたアメリカ軍の将校が使っていたという超大型トランク(100cm×60cm×40cm)に、母が塩・砂糖・味噌・醤油・米・そば類をつめてくれ、横 浜港に送り出してくれました。

  ところが、外務省から9月半ばには下りると言われていたパスポートが、10月の声を聞いても下りないのです。イライラが募って、胃が痛み始めました。出発を諦めはじめ、荷物の引取りを考えはじめたところに、ようやく許可の報が入りました。出発の10日前でした。よくしたもので、胃痛もどこかに吹っ飛んでしまいました。

  10月10日には、日仏学生柔道協会が歓送会を開いてくれました。この会には、偶然プレオリンピックのために来日していた当協会フランス側の会長・ボネモリー氏 と、その後フランスで毎日のように稽古を共にするようになるフランスの選手2名も参加してくれました。すべての歯車がフランスに向けて順調に動き出したようでした。

  出発の日、歓送会には出席できなかった正力松太郎会長を読売新聞本社に大国君と共に訪れ、出発のご挨拶をし、その足でヴェトナム号が待つ横浜港に向いました。 

外国航路の大型船が横づけされる大桟橋に立つと、生まれて初めて見る白亜の大型貨客船の美しい姿に圧倒されます。そして、楽しい船旅への期待が膨らみました。 

  家族・小中学校の友人・親戚・柔道部の同期生・後輩など100人以上の人が続々と到着し、別れを惜しんでくれます。そして早稲田大学校歌「都の西北」 に送られて船上へ...。

同期の桜
【同期の桜】
「都の西北」に送られて
【「都の西北」に送られて】
【両親・妹に送られて】母・妹はなんとなく心配そう
【両親・妹に送られて】母・妹はなんとなく心配そう

   夕闇が迫る中、舟が静かに動き出し、握っていた沢山のテープが次々と切れて海面に舞ってゆきます。波止場に並んだ何台かの車から発せられるライトの点滅が「行ってらっしゃい!」 と言っているようでした。チョッと、感傷的になりました。

【テープが舞う別れ】デッキ上:左から2人目・大国、3人目・安本
【テープが舞う別れ】デッキ上:左から2人目・大国、3人目・安本

 次回は 「第十四話  船酔い、そして香港...」です。

筆者近影

【安 本 總 一】
現在




▲ページ上部へ


ページトップへ