私と柔道、そしてフランス… ー 第七十ニ話 コーセーの対応ー
早大柔道部OB
フランス在住
- 第七十ニ話 コーセーの対応 -
さて、ロレアル/山陽スコットの契約破棄に伴い、コーセーがロレアルの総代理店(Sole Agent)になりました。一方、山陽スコットが契約していた全国66の化粧品問屋は、ロレアル製品の販売権を保持し続けることになりました。これは山陽スコットが契約破棄に応ずる第一条件にしていたからです。ただし、コーセーの傘下で販売権を保持するのです。
コーセーは、問屋ルートは小売店をコントロールできず、値引きを容認し、定価販売システムを脅かすとして、危険視していたのです。そのコーセーが一夜にして、問屋ルートを抱え込んだわけですから、皮肉なものです。
とりあえず、コーセーは社内にこれらの問屋からの注文を受ける「パブリック部門」を開設しました。さらに年末には、コーセーが100%出資して、この部門を発展的に別会社「(株)コーセーコスメタリー」にして、対応することになります。
一方、コーセーと直接取引契約のある小売店へのロレアル製品の供給は、従来通りコーセーの営業部を通じて続行されることになります。
こうして、日本におけるロレアルの一般消費者向け製品部門は、新たな出発点に立ったのです。
さて、当面の問題であった総代理店交代は、大方の予想に反して極めてスムースに運びました。これは、コーセー以外の化粧品メーカー(資生堂・カネボウなど)でも、両ルート(問屋ルート/小売店への直接ルート)の共存を模索する傾向が顕著になっていたことと、問屋も、資生堂・カネボウに次ぐ第3の化粧品会社「小林コーセー」と取引できることは、願ってもないことと受け止めてくれたことによると思います。
その結果、「エルセーヴ」の発売も相俟って、ロレコスの業績は伸びていく一方、スーパーマーケットなどのセルフ販売店では、相変わらず値引きが続いていて、コーセー・グループ内でしばしば問題になっていました。ただ、世の中にはセルフ販売商品については“自由価格が当たり前!”の風潮が見え始め、メーカーとしては、値引き率を抑えるにとどめる方向に変りつつありました。
1977年末、私にとってとてもショックなことが起りました。私をロレコスに引っ張ってくれたヴィリエ専務が突然退職したのです。
ロレアルでも特に優秀なマーケッターとして日本に送られ、パリ本社の命により、山陽スコット路線を進めて来た彼は、スコットとの契約破棄に伴い、行き場を失ってしまったような様子を確かに回りは感じていました。
その前に、彼を日本に送り出した本社のアジア担当ディレクターが、山陽スコットとの契約破棄の責任を取らされた格好で更迭されていました。こうした状況下で、ヴィリエ専務は居心地も悪かったことでしょうし、新任のアジア担当ディレクターと折り合いもよくなかったことは、彼自身から聞いていました。しかし、まさか退職とは!
その直後、事態収拾のために来日したこの新アジア担当ディレクターが口にしたのは「日本赴任を希望する者がいない」ということでした。
その理由として、第七十一話で紹介した、レヴィー副社長がパリ本社での国際会議で正直に述懐した「我々は、日本でミスを犯しました」で始まる演説にあるというのです。
次回は「第七十三話 君子危うきに 近寄らず」です。
【安 本 總 一】 現在 |
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