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私と柔道、そしてフランス… - 第六十九話 “柔道”再開へ -

【安 本 總 一】
早大柔道部OB
フランス在住
私と柔道、そしてフランス…
2020年5月7日

- 第六十九話 “柔道”再開へ -

 帰国して数ヵ月後、南仏モンペリエ以来お留守にしていた柔道の稽古を再開しました。とはいっても、 たまに思い出したように、早大柔道部の道場か大沢道場に顔を出し、組みやすそうな学生や高校生と軽い乱取をする程度でしたが。

 そんな時に、柔道部から、1977年1月の恒例の寒稽古の知らせがきました。この道場での寒稽古には、学院・学部時代に7年連続参加していて、いずれも皆勤しました。

 あえて、一年で最も寒い“寒”の時期に、暖房のない道場の窓を大きく開け、凍るような畳の上で稽古するという、精神力・気力の鍛錬に力点をおいた早朝練習です。

  現役の学生にとっても大変厳しい一週間であることは分かっていましたが、“どうせ参加するなら皆勤を!”と、かなりの覚悟で参加しました。

 靖国神社裏の住まいから、真っ暗の中を徒歩で45分ほど掛けて早大道場へ。柔道着に着替え、6時からは、少しでも身体を温めるために、早稲田の街中(まちなか)をランニング。

 走り始めると、昔懐かしい建物の前を通ります。カツ丼の元祖・早稲田最古のそば屋「三朝庵」(注1)、老舗洋食レストラン「高田牧舎」、私の学んだ法学部校舎、大隈講堂、行くと必ず特性スープをサービスしてくれた「TOKIWA」、よくコンパをやった「金城庵」などなど。余りの懐かしさに足を止めてしまい、体がなかなか温まらなかったことを思い出します。

【三朝庵】【大隈講堂】【金城庵】

 この後の稽古も、まず怪我をしないことを目標に、前述の組みやすい学生や、早実高・早稲田高などの高校生を相手に、久し振りに汗を流しました。そして、その後、出勤です。

 結果、この時も皆勤することができましたし、1997年の「創部100周年」の記念寒稽古まで20年、連続皆勤して、後輩の三野君と共に「永年皆勤賞」という創部以来はじめての特別賞を授与されました。さらに、2012年にフランスに移住するまでの15年も皆勤を続けたと記憶しています。通算、43年にも及びます。

 しかしながら、世の中には「上には上がある」もので、ライバル慶大柔道部の成毛秀臣先輩は70年間以上の寒稽古皆勤を達成されたそうです。

 「一年の計は元旦にあり」と言いますが、私にとっては「一年の気力は寒稽古にあり」で、寒稽古に皆勤できるかどうかが、その年の気力を図るバロメーターでした。

 この「寒稽古」ですぐに思い出す人物は、大学時代の同期生、矢部(旧姓:千葉)君です。

 柔道部部室に大きな鉄製の火鉢があり、これが唯一の暖房器具で、それに火をいれるのが、大学一年生時代、道場まで徒歩30分ほどのところに住む私の役目でした。

 矢部君は、寒稽古の間は私の家に泊まっていて、「炭を起こすにはコツがあるので、俺に任せろ」と言う。雪深い秋田の大湯温泉出身で、田舎の生活に詳しい彼にとっては、炭を起こすことなどはお手の物、すべて彼に任すことにしました。

 翌朝、家で炭をガスコンロにのせて火種を作り、側面に沢山の穴を開けたブリキ缶に入れます。針金の取っ手を持ってぐるぐる回しながら厳しい寒さの中を歩いていくと、道場に着くころには炭は真っ赤になっていて、火鉢に入れると到着した部員達がこぞって冷え切った手をかざしていました。

(注1)
三朝庵:2018年に閉店。

次回は「第七十話 日仏武道倶楽部誕生」です。


筆者近影

【安 本 總 一】
現在




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