改訂版 新・スラム街の少女 ―灼熱の思いは野に消えて― 第三十一話 「第11章 ビッグベアの涙」
女剣士小夏-ポルポト財宝の略奪
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梗概
カンボジアから日本に留学中の少女サヤは、ポルポト軍クメールルージュの
残党に突然襲われた。サヤが持つペンダントには、ポルポトから略奪した
数百億の財宝のありかが記されているからだ。絶体絶命の危機を救ったのは、
偶然に居合わせた女剣士の小夏(こなつ)だった。
ポルポトの財宝を略奪するため、小夏はカンボジアに渡る。 幼い頃の記憶を失っている小夏にとって、記憶を取り戻していく旅となった。 ほんのちょっと前にカンボジアで起こった20世紀最大の蛮行。 ポルポトは全国民の1/3にあたる200万人以上を殺害し、 それまでの社会基盤を破壊した。教育はいらない。ポルポトはインテリから 粛清を始めた。
メガネをかけている、英語が喋れるだけで最初に粛清された。 破壊された教育基盤を立て直すため、サヤはカンボジアのかすかな希望の光だ。 カンボジアの子供たちが日本のように誰でも教育をうけられるようにするため、 日本に送られたサヤ。 小夏、サヤは立ちはだかる悪魔の集団を打ち破り、 ポルポトの財宝を奪えるのだろうか。 その鍵を握っていたのは、カンボジア擁護施設を立ち上げた関根であった。
不思議な力を持つスラム街の少女プンとともに、
日本人駐在員は愛と友情をかけて、
マフィアと闘う。
第11章 ビッグベアの涙
救急車が来た時は、シーアは既に絶命していた。死体は刑事事件なので警察が引き取る。警察官は二名来て、簡単な現場検証と聞き込みをして遺体を引き取って帰った。実にあっさりしていた。
だいぶ前のだがタイ新聞の記事を思い出した。
「タイでは警官が殺人、誘拐、麻薬売買、違法賭博、売春などの組織犯罪に関わるケースが多い。 タイ人女性実業家一家の誘拐事件をきっかけに、国境警察官のグループが麻薬所持のでっち上げ、誘拐、強盗、暴行、恐喝などを繰り返していた疑いが強まっている。無実の罪で投獄され財産を奪われるなどした被害者は50人以上に上る見通しで、警察は2月6日までに、警官17人、一般人6人を逮捕、警官5人を含む6人を指名手配した」また解説記事にタイの犯罪白書では、公務員の犯罪がトップでその内訳は警察官、軍関係がほとんどであると書いてある。
閣下婦人のチャイキットとの約束の6時は既に30分を回っていた。
ニンがチャイキットに電話をかけた。
「スーパンサーですが、婦人のチャイキットを出して」 家政婦はチャイキットに代わった。
「チャイキットさん、証人のシーアが殺されたわ。誰の差し金かわかるわね」
「本当ですか・・・・・・何も知らないわ。わたしは主人に先ほどのあなたの話をしただけだわ」
「それじゃあ、閣下がそうさせたのね」ニンは単刀直入に言った。
「そんなことをあなたは軽々しく口に出すべきではないわ。口を慎まないと後悔するでしょう」婦人は毅然として言った。
「今そちらに行くわ」ニンも毅然として言った。
「あなた達は来る必要がなくなったわ。もう来なくていいの。サパロットはスラム街にいる父親や友達などに会いたくないと言っているわ。主人も、もう会わなくていい、あなた達がこれ以上連絡してこなければ何も起きないと言っているわ」
チャイキットに電話を一方的に切られた。
ニンは電話の内容をノックの話しを除いて皆に伝えた。
「くそ、やられたな。行くぞ」
「どこに?」ニンは俺を見て言った。
「今行ったら、家に近づくだけで射殺されるわ。タイの軍、警察関係の恐ろしさをあなたは知らないでしょう。ビッグベア、木村さんを捕まえていて」
「わかったよ。俺だってそんなにアホじゃあない。 いい子だからビックベアその手を放しな」
ニンはちょっと考えてから俺に、
「任せて、わたしにいい考えがあるの。ところで秘書のアップンさんの年は幾つくらいかしら?30歳くらい?」
「たぶんね、見た目はもう少し、若いけど、そのくらいだと思うよ」
・・・・・・この際どんな手があるのだろうか?
「それじゃあアップンさんにプンくらいの子供がいてもおかしくないわよね」
「うん」
「明日、木村さんの事務所に行っていい?アップンさんに頼みたいことがあるの」
「よし、ニンの作戦を聞こうじゃあないか」
「そうね、その前にお腹すいたからマーブンクロン(専門店デパートで日本の東急デパートとも連結している)にご飯食べに行かない?そこでプンちゃんの洋服を買ってあげる。 ビッグベアさんのシャツももう一枚買いましょう」
「ノックはなんて言っていた?」ビッグベアはやっとの思いでニンに聞いた。
「ノックのことは何もしゃべっていないわ」あっさりとニンが答えたのを聞いてビッグベアは少し安心した。
「それと、シーアの遺体はどうなる?」
「そうね、司法解剖した後、引き取り手がないので無縁仏に埋められるわ」
「俺、引き取ってシーアの墓を作ってやる。墓にはループ(僧) シーアって書いてやるよ。シーアを殺ったのは、シンジケートの殺し屋だろう。シーアは狙われるのを覚悟の上だったんだろう」
ビッグべアが涙を見せないように上を向くと、
「カイの横に墓を立てて皆でお墓参りしてあげようね」プンが嬉しそうに言った。
ニンがマーブンクロンで皆の買い物のアドバイスをした。 フリルの付いた白のワンピースを初めて買ったもらったプンはニコニコ顔。ビッグベアも清潔そうな白の開襟シャツを買った。
「ゴムゾウリはねぇ」そういって、ビッグベアは革靴、プンはサンダルも買った。
「さあ、明日はみんなでノックと会うわよ」 いたずらそうにニンが微笑んだ。
翌日、俺は大忙しだ。まずニンをピックアップし、その後にクロントイスラム街でビッグベアとプンもピックアップして事務所に向かった。 ビッグベアは清潔そうな白の開襟シャツとグレーのスラックスに革靴、プンは裾にフリルの付いた白のワンピースに白のサンダルと二人とも目一杯のお洒落をしている。
事務所に着き、ニンはアップンにこれまでの事情を説明した。
「陸軍将軍閣下の養女ですか。ちょっと厄介ですね」アップンは話を聞き終わり、困った顔でニンを見つめた。
「アップンさん、お願いがあるのだけれど、まずサパロット(ノック)がどこの学校に通っているかを聞いて欲しいの。調査会社に聞けばすぐにわかるわ。陸軍将軍閣下の家族の情報ならば既に情報蓄積されている筈だわ」
アップンが利用している調査会社に連絡すると、すぐに教えてくれた。
「ニンさん、サパロットは王立バンコク女学院の幼等部の四年生です」
「王立バンコク女学院なの。わたしが行っていた学校だわ」ニンは嬉しそうに微笑んだ。
ニンの父親は国費海外留学をして国立大学の教授をしており、ニンも幼い頃から優秀だった。
「王立バンコク女学院なら勝手は知っているわ。きっと知っている先生もかなり残っているわ、うまくいくと思う。それじゃあ、皆、わたしの話を聞いて。まともにいったら、ビッグベアはサパロット(ノック)に会えないと思うの。サパロットの家は厳重警戒で近づくことも出来ないわ。
サパロットは学校の行き帰りは、車で護衛つきでしょう、護衛がいないのは学校の中だけね。そこで、今日はプンちゃんが編入のための学校訪問調査ということにして学校内に入りましょう。アップンはお母さん役ね、ビッグベアはお父さん。木村さんは召使かな。わたしは紹介者になるわ。 わたしが昼休みになんとかサパロットを会議室に連れていくわ」
「えー、俺がビッグベアの召使かよ。ニン、いくらなんでもそこのとこ、もうちょっといい役を思いつかないものかなあ」
いつもの通り、ニンに無視された。
俺達はオリエンタルホテルの近くにある王立バンコク女学院に向かった。女学院の入口の正門には、守衛が二人いて車に貼られた通行許可のワッペンを確認している。
通行許可のワッペンが貼られていないので守衛が正門の横にボルボを誘導した。
ニンが車から降り守衛に訪問目的を告げると
「覚えていますよ、ニンさんでしょう。どうぞ入ってください」守衛は顔を覚えていた。ニンが12年通った学校である。
「お昼まで時間があるわね、校内を案内するわ」
駐車場に車を止めてからニンは学校内を案内し始める。
「すごーい、図書館もきれいで本がいっぱい。食堂はレストランみたい」プンは自分が通っている学校とは違うと驚いて言った。
ニンは会議室に皆を案内し、札を使用中にする。
「もうすぐお昼休みね。いまから用務員室に行って、会議室の使用許可を取ってくるわ。 それから職員室でサパロット(ノック)の教室を聞いて、先生にことわってからサパロットを連れてくるわ。ここで待っていてね。召使は下の売店で飲み物でも買って来て」
「はい、はい、お飲み物を買ってきます、王女様」
会議室では、静かに時が流れている。
誰も口を開かない。
それぞれの思いが心の奥にある。
しばらくして沈黙を破って、ドアが開けられた。
ニンがサパロットの手を引いて入ってきた。
みんなは立ちあがってサパロットを見つめる。
サパロットは微笑んでいる。
微笑みながらサパロットの目に涙があふれている。
「いつか、いつか迎えに来てくれると思っていたの。雲のように大きかったお父さんが、いつか迎えに来てくれると思っていたの」
サパロット(ノック)はビッグベアを見つめながら一言、一言、区切るように言った。
ビッグベアは、ノックに近づき軽々と抱きかかえた。
「ノック・・・・・・大きくなった」ビッグベアはそれ以上の言葉が出ない。
ノックと会ったら言おうと思っていたたくさんの言葉が、
昨日の晩からずっと考えていた、たくさんの言葉が出ない。
ビッグベアはノックを静かに床に降ろし、膝をついて嗚咽とともに泣きはじめた。
「プンちゃんでしょう」ノックは嬉しそうにプンに抱きついた。
「覚えている?」プンはあの頃によくしたようにノックの頬に自分の頬をくっつけて言った。
「忘れないわ、いつでも一緒だったよね」一緒にご飯食べてお母さんごっこして遊んだよね」
「うん、あの時わたしたちにはお母さんがいなかったから、二人共うまくお母さん役が出来なかったね」
プンが懐かしそうに笑う。
「ノックちゃんは、やはり昨日のことは何も聞いていなかったそうよ」
「昨日のことは何も聞いていなかったわ。今日帰ったら、今のお母さんとお父さんに本当のお父さんと会ったことを話します」しっかりした口調でノックは言った。
「そろそろ授業が始まるわ。サパロット(ノック)行きましょう。お姉さんが教室まで連れて行ってあげる」
サパロットは、ビッグベアとプンともう一度抱き合ってからニンと手をつないで部屋を出て行った。
ニンは会議室に戻って来ると、
「今晩、閣下婦人から電話がかかってくると思うわ。それから今後のことを決めましょう」
「ビッグベア、いつまでも泣いていると部屋が洪水になるよ。さあ行こう」
俺は、ビッグベアの肩をやさしく叩いた。
その日の夜、セプテンバークラブのカウンターにニンといた。ニンが店にキープしてあるバレンタイン17年の水割りを作ってくれる。タンブラーの中の氷と水とウイスキーをマドラーと一体となった細い指がゆっくりと円を描く。
喉を通る時間の凝縮された液体を味わいながら、物悲しいトランペットの響きが心を打つ。流れている曲はマイルス・ディヴィス「死刑台のエレベーターのテーマ」だ。
「わたし二十七歳って知っているわよね」突然、ニンが言う。
「知っているよ」
・・・・・・突然、年の話か。何だろう?結婚したいなんて言うんじゃないだろうか。俺だってもう三十五歳だ、ニンと結婚したら尻に引かれるだろうな。
「わたし・・・・・・大学行こうかな。今日母校に行ったでしょう。高校時代の担任の先生がいたの。今何しているか少し話したら、先生が母校で教えてみないかって言ってくれたの。資格を取ったら、あなただったら推薦してあげるって言われたの。多分、アップンさんのように飛び級して二年で大学を卒業できるわ。あなたから教わったこといろいろな大切ことを子供達に教えたくなったの。お金もある程度貯まっているし、いつまでもここで働いていられないわ。自分の子供のためにもね」
「へー、大学生になるんだ。白のブラウスに黒のスカートか、いいね。彼女が大学生だ。バンザーイ」(タイの女子学生は白のブラウスに黒のスカートを着用している)
「・・・・・・」ニンは相談する相手を間違えたと眉間に指を当て深く反省した。
その時ニンの携帯に着信の光が灯る。急いで廊下に出て取ると
「スーパンサーさんね。チャイキットです」
「はい」ニンは携帯を持って廊下に出た。
「今日、サパロットと学校でお会いになられたようね。サパロットから一部始終を聞きました。あなたに謝らなくてはいけないわね。サパロットには何も伝えていなかったの。どうしてかは察しがつくと思うわ。でも今日サパロットの話しを聞いて、考えが変わったの。彼女の考えを無視できなくなったわ。主人とも相談した結果、あなた達とお会いして今後のことを相談しようと決めました。明日、土曜日の3時にこちらに来ていただけないかしら?」
「サパロットの父親は、1日たりともサパロットを思わない日がありませんでした。それで、あなたにことわりなしに二人を会わせました。そこはお許しください。とにかく明日3時に伺うようにします。良い相談となるようにお願いします。それでは失礼します」
ニンは電話を切るとカウンターに戻り、電話の内容を話した。
「そうか、どうなるのかな?」
「サパロットの気持ち次第でしょう。彼女の気持ちが優先されるでしょう」
「うん、ビッグベアに連絡しよう。連絡した後、鮨屋に行かない?ニンが大学生になるお祝いをしよう」
「はいはい、お祝いが好きなのだから、お店早退するわね」
泰田ゆうじ プロフィール 元タイ王国駐在員 著作 スラム街の少女 等 東京都新宿区生まれ |
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