私と柔道、そしてフランス… ー 第六十四話 フランス企業社員として日本へー
早大柔道部OB
フランス在住
- 第六十四話 フランス企業社員として日本へ -
研修の締めくくりとして、ベルギーで行われるイヴェントを見学してくるようにと命じられました。「エルセーヴ・バルサム・シャンプー」の発売に伴うイヴェントです。
イヴェントはベルギー・ロレアルのパブリック部門のセールス関係者全員を集めて行なわれるのです。行ってみて、その派手さに度肝を抜かれました。会社全体が“社運をこの一品に託す”という意気込みが感じられました。それも、新製品発売ごとに行なわれるとのこと。
このイヴェントは、ふだんは会社に席のないセールスマンが会社とのつながりを確認する重要な行事であることも、分かりました。
こうして一ヶ月の研修を通して、“化粧品”という、私にとってまったく新しい世界に踏み出したのです。それも、斯界世界一のロレアルで。
このとき私の頭に浮かんだのは、私が日本電子に就職した時に、“ナニ! 安本が電子顕微鏡のセールス?”とビックリしていた柔道仲間達の顔です。今度は“エッ、化粧品?”といって、どんな顔をされるのか興味津々でした。
こうした中で、研修が終り次第、とりあえず私が単身で帰国し、落ち着き先をはじめ、家族の受け入れ態勢を準備することにしました。
また、ジュイ・アン・ジョザスの家からはできるだけ早く出なくてはならず、 8年にわたるフランス滞在でたまった家具・家電・衣類・書籍、それに買い換えたばかりの車「シムカ」を処分しました。そして、家族と二匹の猫は渡日まで一時、ポアチエ市の家内の実家に“疎開”させました。
この間、家内の苦労は大変なものがあったと思いますが、ことはすべて計画通りに進みました。
その他の複雑な出国手続を経て、5月初旬に新しい赴任地“東京”に戻ったのです。
到着した翌日、(株)ロレコス(LOREKOS)の銀座オフィスに出勤しました。日本におけるロレアル・パブリック(一般消費者向け)製品の本格的な流通を目指して設立された、(株)小林コーセー(現・(株)コーセー、以後は“コーセー”と表示)との合弁会社(出資比率:ロレアル90%/コーセー10%)です。
約3ヶ月前の面接で、「私のアシスタントとして来てくれ!」と言ってくれたジェラール・ヴィリエ専務と女性秘書が満面の笑みで迎えてくれました。
早速始まった専務との打ち合わせでは、テーマは当然のことながら、3月1日に発足したばかりの当合弁会社の設立の経緯と現況でした。
ここで私が理解したのは、ロレアルがパートナーとしてコーセーを選んだ最大の理由は、コーセーの創業者で当時の社長・小林孝三郎氏との深い信頼関係にあることでした。
彼は、1962年9月自ら渡仏して、コーセー/ロレアル間の技術提携を提案し、同年11月には、契約・調印にまで持ち込んだ功労者です。その後、ロレアルのパーマネント剤/染毛剤などの業務用製品を日本の美容業界(注1)でのリーダーに育てあげた恩人でもありました。
さらに、小林孝三郎氏は、1964年には業務用製品のマーケティング活動の推進を目的に、対等合弁会社・コスメフランス㈱(出資比率:ロレアル50% / コーセー50%)を設立し自ら社長に就任していました。この合弁会社は業績も急速に伸び、日仏企業の成功例として高く評価されていました。
【小林コーセー本社】 |
【小林孝三郎社長】 |
こうしたことからも、業務用製品だけでなく、一般消費者向け製品に関しても、コーセーから同様の協力を得られるものと、ロレアルは思っていたようです。
コーセーはすでにロレアルのヘアスプレー/艶出し/脱毛剤を一般消費者向けに販売していましたが、ロレアルとしては、先ず、これらの製品の販売は中止して、ゼロからの出発を提案し、コーセーから了承を得ます。
しかし、肝心の流通政策では合意を得られませんでした。
当初、ロレアルはコーセーが契約を結んでいる全国のデパートと化粧品店のみで販売することを考えたこともあったようでした。
ただ、その後、コーセーの契約店数はわずか約8000軒で、余りにもロレアルが全世界で進める全方位型流通政策(注2)とかけ離れているとして、政策変更をコーセーに提言します。
これに対して、コーセーは“廉売/乱売”を誘引するとして、絶対反対の立場を鮮明にしました。
(注1)
美容業界:美容(院)室・理容(院)室などを生業とする業界。
(注2)
全方位流通政策:全国の問屋/代理店を通して、不特定多数の販売店に流通させる政策。
次回は「第六十五話 制度品 / 一般品の違い」です。
【安 本 總 一】 現在 |
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