私と柔道、そしてフランス… - 第六十二話 ロレアルで新しい出発 -
早大柔道部OB
フランス在住
- 第六十二話 ロレアルで新しい出発 -
真向かいに住む日本電子の同僚・奥住さんにも私と同時に帰国命令が出ていましたが、私が帰仏して間もなく、それが撤回されました。撤回の理由は分からないまま、奥住家は喜びに湧いていました。
奥住さんは、1955年、日本電子の電子顕微鏡輸出第一号機と共に、設置技術者兼オペレーターとして来仏し、そのまま、納入先のサクレー原子力研究所に就職した後、1968年に復職した日本電子生え抜きの技術者です。
20年も留守にしていた日本に帰ることなど到底考えられず、「日本電子を辞めて、サクレーの研究所に戻るしかない」と言っていた矢先です。
奥住さんの帰国命令が撤回された理由は、数日後、竹内ヨーロッパ総支配人に退職の挨拶に行ったときに分かりました。
私にとって総支配人は、ロンドン滞在から日本電子就職への道筋をつけてくれた恩人です。さらに、1968年にフランスに赴任した私の働き振りを見るに見かねてか、南仏モンペリエに修行に出して多くを学ばせ、その後パリに呼び戻してくれたのも彼。
その総支配人の口から、当時フランス現地法人の社長を務めていた、私のもう一人の恩人・富永さんが退社する意向という、ビックリする話が飛び出しました。
一挙に三人の日本人幹部に退社されては、ということで奥住さんの帰国命令が撤回されたようです。
私にも、一応翻意の可能性を探る質問はありましたが、すでにロレアルへの就職が決まっていることをもちろん知っていて、深く迫られることはありませんでした
日本電子勤務の最後の数週間は、私が徹底的にフォローし、本社デモにまで招待し、まだ機種の選定がなされていなかったフランス石炭研究所を初めとした、重要なお客様への退職の挨拶で忙殺されました。
そして、いよいよ4月1日から、ロレアル本社での研修が始まりました。
ロレアルについては、電子顕微鏡を売り込んだ際に、かなり詳しい情報を得ていましたが、研修が進むにつれて、当然のことながら、知らなかったニュースがどんどん入ってきます。
例えば、ヨーロッパ・トップの高級化粧品・ランコーム(Lancôme)、製薬会社・サンテラボ(Synthelabo)、近代美術専門の画廊・アールキュリアル(Artcurial)などを買収していて、コングロマリット的なロレアル・グループを形成し、連結売上高も、一兆円に迫る超大企業になっていたことなどです。
この超大企業の発端を作ったのはフランス人の化学者ウージェンヌ・シュエレール(Eugène SCHUELLER)です。それまで、危険な薬品を使い、仕上がりも不安定なものだった染毛剤(ヘアカラー)に目をつけ、1907年、画期的な製品を開発して、これをヘアサロンに自ら売り歩いたという逸話が、ロレアル誕生のきっかけとして今も語り継がれています。
その2年後、1909年に“フランス無害染毛株式会社”を設立、これが“ロレアル”の原型になりました。会社の基本理念は、化学者らしく「研究開発」と「美しさのための革新」です。
ところで、私と化粧品との出会いは、子供の頃のシャボン(石鹸)です。これで、1963年にフランスに来るまで、全身を洗っていました。髪の毛も。
また、“たかが化粧品、されど化粧品”を意識させられたのは、日本電子に入社し、営業部で研修を受けているときに資生堂の研究室を訪れたときでした。
日立の電子顕微鏡が数台とあらゆる分析機器が並んでいるのを目の当たりにしたことと、担当者から、「化粧品の研究開発・製造には、皮膚科学・薬学・生物科学・色彩学・毛髪科学・心理学などの総合的な知識と先端技術が必要」との説明があり、文字通り“目から鱗”の思いをさせられました。
次回は「第六十三話 研修で学んだこと」です。
【安 本 總 一】 現在 |
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