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私と柔道、そしてフランス… -第五十四話 ライヴァルとの熾烈な戦い(その一)

【安 本 總 一】
早大柔道部OB
フランス在住
私と柔道、そしてフランス…
2019年10月10日

- 第五十四話 ライヴァルとの熾烈な戦い(その一) -

  日本の技術を揶揄するような話は、当時、色々な分野で聞かれました。第二次世界大戦後、世界で“Made in Japan”が「安かろう悪かろう」と批判され、一方、“Made in Germany”が高く評価されていたことは否めません。

 1962年、池田勇人首相が来仏し、ドゴール大統領と会見した際に、手土産に持ってきたソニーのトランジスタ・ラジオについて熱心に説明したところ、会見後、大統領は日本の首相を「トランジスタ・ラジオのセールスマン」と称したという。そんな逸話がまだまだ話題になる時代でした。敗戦国日本が高度成長期にあったことに対するやっかみも、多分にあったように思います。

 日本電子が扱う全機器の仕様・性能の面で熾烈な戦いが繰り広げられたのはこういう環境の中でした。

 突出していたのは、透過型電子顕微鏡(TEM)の分野でのオランダのフィリップス(Philips)社との競合です。生物・医療関係では、シーメンスが絡んできますが、その他の分野では、日本電子(JEOL)とフィリップスが市場をほぼ分け合っていたのです。

 TEM本体自体を比べた場合は、分解能で勝り、振動や熱に対して安定している日本電子製が有利でしたが、物性物理学・材料学などでは、試料の傾斜角を大きく取ることができる「サイド・エントリー・ステージ(横入れ式試料ステージ)」を組み込んだフィリップス製がダントツ有利でした。

 1972、3年頃、有名製鉄会社の研究所から大型TEMの引き合いがありました。所長は電子顕微鏡学会でも著名な研究者で、フィリップスのTEMの信奉者でもありました。ただ、日本電子のJEM-100Cにも興味を持ち、ルエイユの展示場に何度も足を運んでくれていました。

 しかし、この研究所の研究には前述のステージが不可欠で、日本電子の本社からは、“開発中”としか言ってきていませんでしたので、半ば諦めていました。ただ、研究所の予算の許可がなかなか下りないことから、機種決定もされないまま数ヶ月が経ちました。

 そのとき、待ちに待ったステージの試作品完成の吉報が本社から入ったのです。

 直ちに問い合わせたところ、数週間後にアメリカのニューオルリンズで開催される国際電子顕微鏡学会で試作品のチェックができるというのです。もちろん、渡りに船とばかりに、お客様とニューオルリンズに飛びました。

ニューオルリンズの地図
【ニューオルリンズの地図】

  とは言っても、パリ・ニューオルリンズ間には直行便はなく、ニューヨーク経由です。日本に行くのと同じような大旅行でした。

 会場には、当ステージを装着したJEM-100Cと本社から派遣された技術員が待ち構えていて、半日かけて完璧なデモを行なってくれました。

 その夜は、お客様と二人で食事をしました。もちろんニューオルリンズ・ジャズを聴きながらです。その時の、お客様の実に満足そうな顔をみて、この勝負に勝ったことを確信しました。柔道の試合に一本勝ちした思いでした。

ニューオルリンズのフレンチ・クオーター
【ニューオルリンズのフレンチ・クオーター】

 帰国後しばらくして、彼から電話があり、日本電子製に決定したことを知らされました。そのお礼のために竹内社長を伴って研究所を訪問しましたが、よほど嬉しかったのでしょう、彼はわれわれを自宅に招いて、シャンパンでお祝いをしてくれました。

 この受注はその後のTEMの営業に大きく貢献してくれたことは、言うまでもありません。フィリップスはまったく怖くなくなりました!

 次回は「第五十五話 ライヴァルとの熾烈な戦い(その二)」です。


筆者近影

【安 本 總 一】
現在




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