第28話 生き方や考え方を変えてみよう
全日本柔道連盟 特別顧問
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
第28話 生き方や考え方を変えてみよう
首相が国民の生き方や考え方を変えるという発想は、そもそも好ましくない。人それぞれに自分の生き方や考え方があるので、政治指導者は、そうした考えや生き方が社会に迷惑を掛けない限り、それを尊重し、支援するべきである。
しかし、社会全体に何らかの問題があり、それが国民の生き方や考え方にも基因する場合があるのであれば、一般論としてはそれを変えるために政治が指導力を発揮することは許容されるべきであろう。
では、日本にそのような問題があるか?長い間世界を渡り歩き、内外から日本を見詰めてきた経験からすると、日本人の生き方、行動様式には次のような点で多くの国と違うところがあり、それが日本が世界の変化に果敢に付いて行けないことの背景にもなっていると思われる。
(1) とても慎重で、急激な変化や変革が得意ではない
(2) 過保護の傾向があり、自立心が失われつつある
(3) 仲間と一緒にいることで安心感を持ち、自分があまり突出しないように気を使う
(4) 自己主張をしないため、日本人は何を考えているかわからないと言われることがある
(5) 視野が内向きである
何事も複雑なので単純には割り切れないが、細かい理屈は抜きにして、総理大臣になったら、国民を次のような方向に誘導したい。
石橋を叩きながら急いで渡ろう
日本人には、「石橋を叩いて渡らず」という傾向がある。石の橋が堅固であるにもかかわらず、大丈夫か叩いてみるが、万一のことを考えて渡らないことにする類だ。原発の再稼働のような問題については充分慎重であっていいが、日常的なことで慎重になりすぎて何もしないことが多いのは問題だ。
例を挙げると、農業保護の問題がある。かつて牛肉やオレンジの輸入問題で日米間に大きな摩擦が起こった際、日本は、少しでも開放すると日本の農家に壊滅的被害が生じると主張して懸命に防戦をした。コメの輸入問題でも長い間歴代の首相は「一粒のコメも輸入させない」と主張して農家の保護に固執した。いずれも選挙対策からだ。その後強い外圧を受けて、ごく一部に小さな穴をあけて輸入を認めたが、日本の農業が引っくり返るようなことは起こらなかった。
この間、農民や農業組合の主張を受け容れて保護主義を続け国全体が思考停止に陥ってきた結果、日本の農業生産性は他国に比して著しく低下していった。サービス業の分野でも丁寧に人手をかけすぎる日本固有のやり方でやっているので、国際比較でみると、日本の生産性は相当低い。
TTP に関してもいまだに国内に抵抗があるが、安倍首相はようやく舵を切って、日本の農業の強みを生かして競争力の強い農産品を育成して輸出しようとしている。人口減少で縮み行く日本市場から大きな世界の市場へ農業を展開する戦略で、正しい道である。世界が動いているのにそれに対応せず、いつまでも自分の殻に閉じこもっていてはジリ貧になるばかりである。
小泉内閣はずいぶん規制改革に注力したが、十数年経った今日でも依然として医療や介護などいくつもの分野で「岩盤規制」と呼ばれる強固な既得権保護が維持されている。安倍首相も「必ずドリルで岩盤に穴をあける」と言っているがその歩みは遅い。
歴代内閣で「規制改革委員会」なるものが設置され議論を続けてきたが、これまで政治力の強い生産者組織が幅を利かして現状維持を勝ち取ってきた。農業にしろ医療にしろ、生産者と消費者などそれぞれの立場で利害は相反する。一定の時間をかけて審議したらあとは多数決で結論を出して、迅速に改革を進めていきたい。
過保護をあらため自立心を涵養する教育を
団塊世代の頃からだろうか、日本では幼児のときから老人に至るまで実に丁寧に保護されるようになり、そのため自立心が希薄になっている。明治はもちろん、戦中、戦後にかけて子供たちはしっかりした行動がとれていたと思うが、最近は心もとない。過保護の弊害なのかもしれない。
子供でも高齢者でも必要な時には保護の手を差し伸べることは当然必要だが、今日では過度に保護を与えている。スポーツをやる場合でも、「危ないから」と言って通常学ぶべき運動を控えさせる傾向が強い。
「柔道は危険」と言っているから、親も子供もそれに近づかなくなる。柔道は投げられたときや負けた時を想定して、「受け身」の練習から始める。受け身をしっかり身につければ、投げられても痛くない。日常生活で転んでも、また場合によっては車にはねられた時でさえ、受け身を知っていると怪我もしないし、怪我の度合いを軽度にすることができる。柔道は他のスポーツと違って、身体を強くし、精神力を養い、礼節も身につけることができる。「危ないから」が先に来て、柔道の素晴らしい利点を見失ってしまうのは過保護の弊害である。
一般に、最近は子供に苦しいことや危ないことをさせないので、子供たちはますます運動能力を低下させていく傾向にある。風邪をひかないようにといつもマスクをしたりマフラーを首に巻いていると、寒さへの抵抗力はますます低下する。寒風にさらす鍛錬も必要で、過保護は禁物だ。
中学・高校においても、受験指導には重点が置かれる。生徒は、この学校は合格が難しいから、こちらに受験しなさいと指導されたり、滑り止めにこの大学を受けなさいと言われる。親も子供も、先生の助言で学校選択を考える傾向が強い。
ここで問題なのは、先生たちが、世間一般の学校の評価を基準にして助言していることだ。先生方に有名校に対する自校の合格率を高めたいという思惑があることもある。それでは、個々の生徒の特性や将来を見据えた指導ができなくなるであろう。教師も親も生徒も、自分で考えて行動するより世間の評判や他人の意見で進路を考えることになりがちだ。
私の高校時代にアメリカに留学しようとしたとき、先生から大学受験が大事だから留学はやめた方がいいという助言を受けたことがある。結果として、高校時代に留学したことが私の人生に計り知れないプラスの意義があったことを付言したい。
ついでに言えば、マスコミも問題だ。例年3月から4月にかけて週刊誌が競って全国の「有名大学」合格者の出身高校別ランキングを発表する。これとて世間一般の大学評価を前提として受験競争を煽ることになっている。
日本の大学の世界でのランキングは低下傾向にある。海外留学を通じて国際人材を育てることより、国内基準で今までと同じ行動をすることは、思考停止と言ってもいい。マスコミも含めて、日本人に自立心が欠けていると言わざるを得ない。
しばしば勤労者の過労死のニュースが伝えられる。日本は他国よりも長時間労働する者が多く、それも自分の意志で積極的に働くより、自ら欲せずに長時間労働を強いられている例が多い。会社や上司の方針に反逆するくらいの自立心がもっとあった方が良い。
日本の幼稚園や小学校では、子供たちは丁寧に守られながら教育を受ける。危険を避けたり他人との融和を重視するあまり過保護にすると、自立心が育たない。先生の言うとおりに行動する子が良いとされがちだ。もっと自分で考えて意見を表明し、それに従って行動することを助長すべきである。先生は問題があるとき是正するが、出来るだけ本人の自由意思で行動する方向に誘導したらよい。
デンマークやフランスでは子供のときから、自分で考えて意見を述べ行動するように育てられている。デンマークにおいては、幼児時代の教育のお蔭か、高齢者になっても自分の意志で行動する傾向が強い(第14話参照)。「三つ子の魂、百までも」である。日本では高齢者も過保護にして高齢者の自立心が乏しい傾向が目につく。
世界を周ると、若者を含め自分の考えを明確に表明し主張する人たちが多いことを知る。アジアでもその傾向は顕著だ。意見を表明しない日本人を不思議に思うようだ。海外から来る人たちと日本人が交流しても日本側がおとなしくてしているので先方が戸惑うことがある。
スポーツのルール造りでも海外勢はこぞって自己主張し、自国に有利なルール造りを競い合う。日本人は黙っていて、日本に不利なルールが決められてもおとなしくそれに従い、損をしている。
こうした状況から脱したい。学校や家庭で幼児時代からの自立心を涵養する教育を進め、健全な自己主張を勧奨するべきだ。
スローガン:視野を内から外へ、行動を固定から変化へ、保護から自立へ
経済成長期だった1970年代から80年代は、日本人はもっと海外に目を向けて積極的に行動していた。「失われた20年」を経て経済停滞期になって、日本人の視野が狭くなり、内向き傾向が高まってきた。
近隣国を見ると、中国人や 韓国人には率直に言って独善的なところはあるがよく海外情勢を見ている。東南アジア諸国でも海外へ目はよく向けられている。韓国や東南アジア諸国、それにヨーロッパのデンマークなどは、国の市場規模が小さいことや隣国と国境を接していることなどもあって、政治的、経済的に国の発展や生き残りを海外市場開拓や対外関係の改善にかけている。だから、海外をよく見ているのだ。近年の日本の内向き傾向は、日本の国力衰退に拍車をかけている。
もっとも「内向き」は日本だけの現象ではない。超大国アメリカの国民一般は概して内向きである。クリントン候補とトランプ候補の大統領選挙戦でも、市場を開き自由な世界貿易を拡大するTPP については、2人とも国内事情から反対を表明したばかりでなく、世界の将来にとって深刻な地球温暖化問題は議論の焦点にさえならなかった。ブッシュ大統領の時代には、国内経済への規制や拘束を嫌って地球温暖化は存在しないと主張する人々が少なくなかった。世界全体を見る目に乏しいのである。
トランプ大統領になると、保護主義的経済政策がとられる可能性が高い。日本が他国と協力して、アメリカに開放政策を呼びかける必要が出てくる。
こうした状況から脱するために、私は政策スローガンとして、「視野を内から外へ」「行動を固定から変化へ」「過保護から自立へ」を掲げて国民的キャンペーンを展開したい。具体的政策は、もちろんこのスローガンに沿ったものを作っていく。
国民がこうした姿勢を身に付けるために世界を見ることが重要である。
その手段として、例えば、高校生の海外留学を大規模に応援する、企業に若手社員の海外勤務や研修を実施することを勧める。知らない外国でひとりで生活することは自立心の向上に絶大な効果を発揮する。親は干渉しないで黙って見守ることが必要だ。
海外に行かなくても国内でやれることもある。海外からの旅行者や留学生の増大傾向、さらにはオリンピック・パラリンピックもあり、日本人家庭が外国人のホストファミリーとなることを勧め、そのための支援策を講じることとする。自分の家庭に外国人を受入れ一定期間生活を共にすることは、視野を拡げ、異文化を理解し学習するうえで極めて有効である。
国内の学校でも外国人の来訪を積極的に受入れて交流することや、日本の学校の修学旅行の行先に海外を選ぶことなども良い。いずれも海外に目を向けて海外への関心を高めることにも繋がる。
【小川 郷太郎】 現在 |
▲ページ上部へ