愚息の独り言
「フランスでの生活 第33話 ボルドーでの生活 4」
2016年4月29
日
ロベール夫人のマルギョリット・ロベールさんはドアンスに唯一在る小学校の先生兼校長だった。
小学校と言っても1年から復習のクラスまで全員で30数名の学校だった。僕はその復習のクラスの2年生に入った。
マダム・ロベールは非常に頭の固い人でペンの持ち方、鼻のかみ方一つにおいても非常にうるさかった。
日本での鉛筆の持ち方は鉛筆を立てて持つが、
フランスのペンは寝かせてまるでおはしを持つかのような持ち方だった。
しかも物差しでヒステリックに指を叩いて注意する。
鼻のかみ方も日本の様に両手でハンカチを開いてかむのではなく
ハンカチのど真ん中を痰壺の様にしてかみ、 その後それを丸めるようにする。
非常に不衛生で、フランス人が持っている習慣の中で最も嫌いだった。
それを強要される。いやでいやで仕方がなかった。
自分は日本人としての誇りを持っていたので
そう言った汚いやり方は我慢がならなかった。
しかも 言う事を聞かないと長男のアランに頭を叩かれる。
日本人に叩かれるのではなく嫌いなフランス人に
叩かれるのは我慢がならなかった。プライドがぐじゃぐじゃにされて行った。
特にあまり年が離れていない女の子のフランス人に頭を叩かれるのは我慢が出来なかった。
だからと言って殴り返すわけにはいかなく この悔しさの持って行き場所がなかった。
本当はこの悔しさを勉強の方に向ければよかったのだろうが、
フランスが嫌いでフランス語を勉強しようなどとは考えられなかった。
唯一の助けが大らかなご主人ジョルジュさんの人柄だった。彼は僕をかばってくれた。
今でも感謝している。彼がいなければ耐えられなかった。
ただいやな事はそう言った日本の諸習慣を踏みにじられる事であって、それ以外は面白い事も多かった。
活気のないさみしい場所であったが毎日の食事は素晴らしかった。
マダムが学校の校長だから生徒の父兄が色んなものを持って来てくれる。
朝はお隣さんの搾りたての牛乳を飲むところから始まるがすべてが新鮮だった。
採れたての卵は目玉焼き、オムレツ、マヨネーズと多くの材料になった。
朝新鮮な牛乳に、ココアにパン・ド・コンパーニュ(田舎の丸いパン)をうすく切ってバターを塗って食べる。
又は豚のリエット、パテなどを食べる。
冬は暖炉で肉やパンを焼く。これがうまい。
夜は何が凄いかと言うと 一人1キロほど果物を食べる。
滅多に来ない父がびっくりするほどだった。
大きいテーブルのど真ん中に鍋が置かれそれをすくって食べる。
豪快でもあった。
未だにどのようにして作るのかが分からない料理が沢山ある。
Sanguette de sang de volaille (サンギェット)もその一つである。
鶏を締める時に首を切るがその滴る血をフライパンにすくい細かく刻んだニンニクとパセリを載せオリーブオイルでソテーする。これが旨い!日本では食べたことがない。
マヨネーズだけど 僕は未だに日本で買った事がない。気持ち悪くて食べられない。
冷蔵庫の無い時代に酸化させないため酢を大量に使ったのだろうがいったい何が入っているか分からない。
ただ子供の時から食べているとその味に慣れてしまうのだろう。
逆に僕は未だに手作りのマヨネーズしか食べられない。
日本のスーパーへ行くと色んな卵が並んでいる。
でも美味しいと思った事はないしそれぞれ味がさほど違うと思えない。
スーパーの卵は殆どが冷凍物で、解凍した日が生産日となっている。
やはり生まれたての卵と味は違う。
そして日本のオリーブオイルはエクストラ・ヴァージンと書いているが、エキストラなど殆ど存在していない。
強いて言えばオリーブオイルはエクストラであろうが、
ヴァージンであろうが冷蔵庫に入れておけば固まって劣化が進みにくい。
そして日本のオリーブオイルは非常に味が無いと言うか癖が全くない。
フランスなどでは癖の多い物が多く、バラエティーにとんでいて美味しいものが多い。
先ずは卵の黄身だけを大きめの茶碗のようなものに入れる。
かき混ぜながらオリーブオイル、塩、胡椒それにマスタードを入れる。
このマヨネーズに蟹とか海老を浸けて食べると滅茶苦茶美味しい。
フランスで日本茶を飲むと水が硬質なのでお茶の持つ優しさ、品の良さが感じられない。一方日本でエスプレッソを飲むと水が軟質でシャープさを感じない。
脂っこい物を食べた後ガツンと来るコーヒーが飲みたく自分で淹れるようになってしまう。
これらはあくまでも慣れ、習慣による好みの問題ではあるが。
若者にとって 食べ物は間違いなくフランスの田舎が美味しい。
フランスは豊かな農業国だった。
| 【 道上 雄峰 】 幼年時代フランス・ボルドーで育つ。
当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。 |