2015/04/08
第16話 現場に行かなきゃわからない
(その4)現場に行けば物事の全体像、将来像が見える
その他、いろいろ例は挙げられる。
長くなるから簡単にするが、モスクワ勤務時代にゴルバチョフ書記長が「ペレストロイカ(変革)」政策を掲げて様々な新しい政策を実施し始めた。
その一例として、極東のナホトカに経済特区を設置することを決定して外国企業に熱心に進出を働きかけた。とくにナホトカに近い日本にも強く勧誘してきた。当時経済を担当していた私にもソ連共産党や経済省の幹部が執拗に日本企業に進出を呼びかけてほしいと迫り、「まごまごしていると他の国の企業にとられるぞ」「バスに乗り遅れるぞ」などと警告を繰り返していた。
そこで、大使館の経済担当の責任者として私も特区の予定地を見学に行った。飛行機やシベリヤ鉄道を乗り継いでナホトカに行って予定のホテルに泊まると仰天した。あまりにもみすぼらしいホテルだったからだ。お湯の出具合からシャワー、バスタブ、トイレなどの施設の不具合やタオル、石鹸、トイレットペーパーなどの備品の信じられないお粗末さ。
これがナホトカ市ナンバーワンの外国人用ホテルだそうだ。
経済特区を作ると言っても、周辺には電力、水、通信、交通などのインフラは皆無に等しいくらいで、これまた驚愕の惨状であった。ソ連の当局は、特区を作れば外国企業が殺到して俄かに産業が発展すると思っている節がある。日本企業も多くがモスクワに支店を置き各地を調査などしているが、ナホトカに投資などまだとんでもないとの認識だった。
現場を見てモスクワに帰ると、ソ連政府からまた、「日本はバスに乗り遅れるぞ」と言ってきたので、私は、「あなた方のバスは、窓も破れタイヤもパンクしているので乗っても走らないではないか」と答えてやった。
【ペトローバ、ダリニー付近(1989.5.9.)】
1990年代末の旧ソ連のペレストロイカ時代には外国人の移動もある程度緩和されたこともあって、私は出来るだけ機会をとらえて国内を旅行した。
興味深かった経験は、モスクワで使う私用車(トヨタ・カローラ)をフィンランドで引き取るよう赴任前に予め契約をしておいたので、赴任後しばらくして休暇を頂いて飛行機でヘルシンキに飛び、そこから引き取った車を自分で運転してモスクワに帰ることにした。これによって、千キロ以上のソ連の国道を走りながら周辺を観察することができる。興味津々だ。
実際、実にいろんなことが分かり、また監視していた官憲から激しい取り扱いを受けるなど、この国の仕組みについて貴重な経験もした。
当時のレニングラード(現サンクトペテルブルグ)とモスクワを繋ぐ幹線道路の穴ぼこの多い未整備な状態、道路を走るトラックなどの荷量の少なさ、車は老朽化したソ連製ばかりで、車輪の回転がブレてよれよれに走っている。そんな車の数が何と多いことか等々、ソ連経済社会の当時の状況について多くの興味深い様相を目撃した。
とくに参考になったのは、ソ連の国土のあまりにも広大なことを実感したことだ。そして、道路にしろ、鉄道にしろ何千キロもの距離を輸送するためのインフラが大変老朽化していて、その修理もままならないこと、さらには、この広大な国では人口の集中はごく僅かな都市に限られ、全体的にはすごく過疎化されている。
資源はあってもその採掘は寒冷地などではコストがかかるし、おまけに資源の所在地と生産地と消費地が何千キロ、何百キロと離れていることが分かった。要するに産業の発展に必要な資源、生産、消費を集積させることが困難な地勢なのである。
私は、その後の経験も含め、ソ連(現在のロシア)では将来にわたって産業を振興・発展させることが極めて難しいだろうという認識を得たが、この時の観察が役に立った。現に、その後のロシアは石油価格の上昇のお蔭で経済は随分良くなかったが、今でも産業構造の改革は殆ど出来ていない。
2000年の12月にカンボジアに赴任した際に、1年間でカンボジアの全県を回るとの方針を決めた。実際実行してみると、なかなか難しい。道路が寸断されていたり、デコボコでぬかるんでいたりで、四輪駆動でも走れない道がたくさんある。鉄道はほとんど使えないし、飛行機も路線は極めて僅かしかない。
だから、ある時はイギリスのNGOと提携してジープに載せてもらったり、ある時は民間のヘリをチャーターしたり、さらには老朽化して今にも墜落しそうなカンボジア軍のプロペラ機に便乗させてもらったりで、とにかく1年間での全県踏破の目的を達した。
これによって、カンボジア全土の地形・気候や地勢的条件、地雷の埋没地域、洪水や干ばつの発生状況、道路の状況、農業の状況などが分かり、最大援助国の日本として、どのような支援をどのような優先度で、また、どのようなアプローチで行うべきかについて、イメージを持つことができた。
これが、カンボジアの首相や担当閣僚との議論や外務本省への進言に大いに役立った。関連文書の精読や経済指標ももちろん必要だが、現場の観察は我が国としての援助政策策定に大いに役に立った。
これらは、いずれも古い話であるし、緻密な学問的研究調査でもない。しかし、現場に行くと全体像や将来像についてそれなりの「感覚」を掴むことができる。
現場を見ることが情勢判断や将来予測に大いに役立つ。
外交官時代、このことを確信して行動をしたが、それが間違っていなかったと自負している。
【小川 郷太郎】 現在 |