2013/09/27
第8話 フランスを「全体的に知る」 (2/2)
柔道の稽古はかなり激しく、時には苦しい思いで肉体をぶつけ合い投げたり抑え込んだりする。だから稽古をした者同士の親密感は尋常ではないものがある。
柔道の仲間たち(ツール、1969年)
2007年であったか、道上道場の創立50周年の記念行事があったが、昔の柔道仲間が私にも連絡してくれたので、ボルドーに行って旧交を温め、懐かしい道場で練習をし、道上伯先生の偉業を皆で偲んだ。もちろん、道上雄峰さんはそのホスト役であった。
柔道はフランス人がその価値について絶大な評価をしてくれるおかげで、私にとってはフランス社会に溶け込むうえで格好の手段であった。
そういう点から考えると、フランス人が誇る葡萄酒もフランスを知る上での重要な要素であり、ここでも酒好きであったことは何と幸いであったことかと思う。
ボルドーでの研修中、葡萄の収穫期に葡萄酒造りの小さな農家に数日泊まり込んで葡萄を摘み酒を造る手伝いをした。
広い畑の葡萄を狩るには人手がいる、晩秋のこの時期にはスペインやポルトガルからも人手を集め、周辺の学生もアルバイトで作業に加わる。
ボルドー近郊の葡萄酒造り農家の葡萄畑でアルバイトの女子学生らと(1970年晩秋)
私が行った農家はガロンヌ川中流のバルサックという村であるが、ここは世界的に有名な甘いデザートワインの産地である。「貴腐葡萄」から作るので、収穫期にはカビが生えたようになった葡萄だけを摘む。まだ若い葡萄は切らずに後日の収穫に残すので一収穫期を何度かに分けて摘む。
葡萄を狩るのは重労働だが、酒を造るプロセスを手伝うのは興味深かった。葡萄酒の作り方が概略わかった。
肉体労働の後は大夕食会だ。田舎料理だがこってりと美味しく、また葡萄酒もふんだんにふるまわれる。酒が入って、ポルトガル語やスペイン語も混じり、若い学生もはしゃいで大宴会となる。
たらふく食べた後は、心地よく酔って農家の広間で大勢が雑魚寝をする。これも楽しい思い出だ。
「フランスを全体的に知る」うえで、旅行も欠かせない手段だ。
大学での勉強が休みの時などを利用して積極的にフランスを見て回った。数年後の二回目の勤務の時も含めるとフランス全土をほぼ回ったことになる。
旅行を通じて各地の地理・風土や歴史・文化の概略を知ることができる。書物で学んだフランスの地理や歴史は、あちこち行って見ることによって「ああそうだ」と理解ができ、記憶にもよく残る。
後方から見たノートルダム(1983年4月)
フランスが豊穣で豊かな国土と興味深い歴史・文化を持っていることを実感できる。
余談になるが、どんな田舎に行っても料理がうまくて嬉しい。
フランスの生活に慣れてからイギリスに行って驚いたのは、なんて食事がまずいことかということであった。まるで味がない。こんなものを食べているとはと思ってイギリス人に大いに同情したものである。もっとも、その後2~30年してヨーロッパの統合が進むにつれて英国の食事は少し良くなったりはしたが。
フランス
を構成する国土や歴史や人を知るうえで旅行は極めて役に立つ。そういえば、日本にいる外国の外交官たちも随分日本国内をまわって各地の人と接触している。それによって、日本を一層多面的に深く知り、日本に愛着を感じてくれるのだ。
私の場合、車で旅行するときなどはいつも柔道衣をトランクに入れて移動した。時間に余裕があると道場を訪ねて、道場主に会う。少し練習などをすると大歓待してくれて、一宿一飯の恩義にあずかることもある。見知らぬところに行っても柔道のお蔭で土地の人と親しくなれた。
次回は、フランス人の生き方について私が感じたことを書いてみたい。
【小川 郷太郎】 現在 |