2013/07/04
第6話 フランス人とは (1/2)
日本人であれフランス人であれ、人は皆千差万別なので、この国の人はこうだと明確にいうのはなかなか難しい。
でも、1969年にフランスに行って以来今日までいろんな形でフランス人と付き合ってきた経験から、あえて私が見るフランス人像を描いてみる。
パリ、パシー通りにあるカフェー・バー"Tabac de la Muette"(2010年8月)
先ず言えるのは、抜群の好奇心があるということである。とくに異質のものに関心があり、かつそれを理解する能力が高い。違っているものを見たとき興味を感じ、それはなぜそうなのかと自然に考え自分なりに理解しようとする癖があるようだ。
随分昔の話だが、相撲を見たフランス人が、「すごく面白い」といった。まだ外国人力士も皆無で相撲が世界的に知られる前のことで、私は、裸の巨体に褌をまきつけた力士が何度も仕切りを繰り返し、立ち上がったと思ったら一瞬のうちに勝負が決まることの多い相撲は、外国人には到底ウケないだろうと思っていたので、ちょっと驚いてなぜですかと聞いたことがある。
そのフランス人は、「いやあ、塩をまくのは土俵を清めるためだそうですね。それは土俵を神聖なものと見ることで、素晴らしい精神性だと思います。仕切りを見ていても、真剣そのもので、次第に力士の顔面や身体が紅潮して闘争心が全身に高まるのが感じられます。
それに、仕切り前に俵に踵を載せて両手を広げてするあの所作や負けた後でも礼をして土俵を去る姿に清々しい礼儀正しさを感じます」と説明してくれた。
フランスの有力な閣僚を外務省が日本に招待した際、京都にお供をしたことがある。三十三間堂を見学した際、その方は仏像の前に佇んだまま2,3分じっと動かないで見詰めていた。何か深い精神的なものを感じたようだった。
伝統工芸の彫金の作業場を見学したこの大臣は、これまたじっと何分も作業を見続けてこう言った。「作品は実に精巧なものだ。このような細かい作業を辛抱強く長時間ずっと続けて姿勢を崩さない。魂が入っているようだ。ここに日本の発展の秘密を見る思いがした。」ときは日本の経済が隆盛した1980年代半ばのことだった。
フランス人は言葉と論理をとても重視する。小さい時から学校でデカルト的思考方法や三段論法を叩き込まれているからだろうか。
ボルドー大学で研修していたとき、友人が些細なことにまで大上段に振りかぶったような議論をしたので、そんな大げさに話さなくてもいいのではと思ったこともある。
理屈っぽく延々と長広舌をふるっているのを聞いていると、随分知識の豊かな立派な人だなと思ったりするが、終わってから、はて何を言ったかと考えてみると、大した中身がなかったと思うこともあるが。言葉がフランス人には大事なんだなと思ったことがある。
仲の良いフランス人の男女を見ていると、いつも「ジュテーム(Je t’aime:愛している) という言葉を繰り返し交わし合っている。
フランスでの研修時代、友人の女性から時々「私を愛しているの?」と聞かれることがあった。「以心伝心」の文化のある国で育ち、妙な古臭い男の衒いもあって、私は何度か聞かれても「サムライはそんなことは言わないのだ」「俺の態度を見ていればわかるだろう」としか答えなかったので、彼女は寄って来なくなった。
明確な言葉がないと態度だけでは相手の心がわからないのかもしれない。あまり適当な例ではないが、言葉が人間関係を結ぶ重要な要素であり、その度合いは日本よりはるかに強いと思った。
続く
【小川 郷太郎】 現在 |