外交官 第22話 (その2) 「個性や自立心の欠如、集団行動主義、他者への依存心」

2015/11/10

【小川 郷太郎】
全日本柔道連盟 特別顧問
東大柔道部OB
丸の内柔道倶楽部
外交官

第22話 内向きで衰退する日本 (その2)
「個性や自立心の欠如、集団行動主義、他者への依存心」


グローバル化して変化の速い世界に伍して行くには、日本として果敢な行動が不可欠である。もちろん、政治のリーダーシップは大事だが、国民の行動も極めて重要である。しかし、日本人一般の行動様式は、変化に迅速に対応して各国との競争に勝っていくためには向いていないところが多い。

日本人と世界の多くの国の人たちの行動様式には違うところが多々ある。我々日本人は柔和でおとなしいが、世界の人々は自己主張が明確で、国としても厚かましいほどに狡猾に振舞う。
また、日本人は日常生活においてあまり自立心がなく受身になりがちで、上司や先生のいうことに従うことが多い。よく言えば、調和を重んじ協調的である言えるかもしれないが、外国からは、集団主義的行動のように見え、日本(人)の考えていることはよく分からないと思われたりする。

こんな風にしていると、不遜で厚かましい国や大国の意に従わせられかねない。これでは日本は世界の波に流され、国として損をしてしまう。もっと自己主張が必要だ。
いくつかの例を思いつくままに述べてみたい。

日本の行動様式の背景には伝統的な教育方法が影響しているのかもしれない。我々は幼い時から、「親のいうことを聞きなさい」「先生の言うことをよく聞くのですよ」と言われて育つ。初めから、自分で考えずに他者への依存心みたいなものができてしまう。

デンマークでは保育園や幼稚園の時から自立心を植え付けられる。小さな子供が「あれが好き」「これはいや」というと、先生は「そう?なぜ?」と質問して、子どもたちに思考させる。子供たちは一生懸命考えて答えようとする。

フランスでも自由に考えさせ個性を表すように教育する。私が2回目のフランス勤務のとき、長女は6歳で現地の小学校に通った。娘がときどき家に友達を連れてきて遊んでいるのを見ていると面白い。誰かが面白い仕草をしたりするとみなが笑う。
すると、別の子が前に出てきて、「今度はボクがやる」と言って自分の得意のことを披露する。それを見て今度は女の子が、「私は詩を読むわ」と覚えた有名な詩人の詩を得意気にジェスチュア付きで朗読する。次々に争うように前に出て独自のことをする。見ていて「なるほどこれがフランス人の個性を作る教育の成果だな」と感心した。

パリから帰国して、娘は日本の公立小学校の4年に編入した。娘はフランスの個性涵養教育の成果を日本の学校で発揮したのだろう、保護者の会で、担当の先生から「あなたのお子さんは個性が強すぎて」と苦情を言われた。
後年長女は、あのころ級友たちから凄く陰湿ないじめをずっと受けたと告白した。調和を重んじる日本と個性の発揮を重視するフランスの違いだ。

自立心といえば、先ほどデンマークの幼児教育に触れたが、その教育の成果か、デンマークのお年寄りは高齢者になっても自立心を維持している。日本では「晩年」という言葉もあるし、お年寄りへの優しい気持ちから、高齢者に対して手をとり足をとるように大事にお世話する。

デンマークのお年寄りたちは、人生最後の時期は自分らしく生きようという意識が強く、自分の趣味を発展させたり仲間との交流を楽しもうとの意欲を持っている。身の回りのことはできるだけ自分でする。介護が必要になっても子に頼らずに施設を活用する。
「晩年」などいう言葉さえないように自分の最後の人生を生きようとする姿勢だ。

田園風景
田園風景


欧米社会の自立心の基盤には自己責任の精神があるようだ。自立心の反対は他人依存と言ってもいいが、日本ではとかく他者への依存心が強いように見える。何か被害にあうと国や役所の責任を問う。自分の不注意は棚において、注意喚起が充分でなかったと責めるのだ。親は、子供の問題について学校に責任を帰す傾向もある。

フランスの風光明媚なエトルタという海岸に行ってみたことがある。眼下はきれいな海であるが、そこは断崖絶壁で海岸ははるか100メートルぐらい下にある。驚いたことに、そこには転落防止の柵もなければ注意喚起の標識もない。落ちるかどうかはまさに自己責任である。

日本では、口うるさいほど注意喚起がある。さほど危なくなくても世話を焼く。やれ、「エスカレーターの手すりをお持ちください」「お子様の手をつないでください」などとラウドスピーカーで繰り返しわかりきったことを聞かせられると、「喧しい、子ども扱いするな」と怒鳴りたくもなる。
工事現場では、通路が明示されていても人が立って歩行者を誘導する。天気予報で雨の可能性を伝えたあと、「念のため傘を持ってお出かけください」などという。日常生活でそんなことばかりされると、依存心はますます強くなり、自分で考えて行動する感覚が鈍ってしまう。

日本の学校では暗記型の試験問題が多い。暗記に力を入れていては思考力は磨かれない。フランスの大学で研修をしていた頃、期末試験の問題はたった1行で、「○○について考察しなさい」と書かれていた。試験時間は4時間もある。学生たちは、起承転結の論理構成をして、じっくり考えながら数ページにわたって自分の主張やその理由を展開していく。個性さまざまの解答が出てくるそうだ。論理構成、一般教養や発想のユニークさが評価のポイントにもなる。

日本の企業は同じ土俵で相撲を取る傾向がある。似たような型の商社が似たような業態でエネルギーや食糧などの分野で競争する。新聞やテレビのマスコミもそうだ。似たような紙面構成や番組で覇を競う。大きな事件があると、どのチャネルも同じような内容や形式で報道する。目をつけるところが同じで、ただ速さを競ったりする。

デンマークは小国であるが、他国企業があまり進出しないニッチ(隙間)を狙って事業を展開する企業がある。例えば、補聴器、人工肛門、特殊モーターなどの製造で世界市場の2割から6割ぐらいのシェアーを獲得している会社が十指に余るほどある。うがった見方かもしれないが、画一的な教育と個性を育てる教育の違いが出ているとも言える。

集団行動主義型の社会では、創造性や新しいことに挑もうとする積極的意思と行動力を持つ人が少ない。皆が受験競争の中に押し込まれて、その中で受け身になって行動していく。将来の就活が大変だと思って「有名大学」を狙う。高校留学の機会もあるが、受験や就活を考えて留学しないという若者が多い。これも同じ土俵の中での闘いだ。自分の頭で考えて自分の個性を生かす将来の道を考えたり、グローバル化を念頭に旧態依然の日本の受験競争に参加しないで留学を志向する者は少ない。実際、海外留学をする日本人の数は顕著に減っている。

逆に中国、韓国、東南アジアの留学生が増えている。アジアを見ると、英語のできる若者の数は非常に多い。そして積極的に自分の意志を明確に述べる。私が勤務したカンボジアのプノンペン大学で英語で講演をした際、大教室に学生が溢れ熱心に聞いてくれた。講演後非常にたくさんの質問が出たので相当時間を延長したことがある。途上国であってもこれから伸びる国の若者の英語力や積極性に強い印象を受けた。

「受け身」といえば、我が柔道界もそうだ。柔道の国際試合のルールはこれまでヨーロッパ諸国や国際柔道連盟が中心になって決めてきているが、日本の柔道界は「ルールがおかしい」とぶつぶつ言いながら公式に反論もせずに大勢に従っている。まさか、柔道で最初に学ぶことが「受け身」であるからではなかろうが。

ともあれ、近年ノーベル賞を受ける日本人の数は増えている。日本にも独創性に優れた人々はいるのは事実だ。個性や独創性を涵養する教育を強化すれば、もっと多くの創造力を備えた若者が育ち、日本の競争力強化に貢献するだろう。

筆者近影

【小川 郷太郎】
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