改訂版 新・スラム街の少女 ―灼熱の思いは野に消えて― 第八話 「第3章 対決 2」

愛は国境を越えてやってきた。

不思議な力を持つスラム街の少女プンとともに、 日本人駐在員は愛と友情をかけて、 マフィアと闘う。

女剣士・小夏 ―ポルポト財団の略奪―

店に平然と一人で入って来た俺を見てミィアオは思わず 「アッ・・・・・・」と声を上げた。

ただのボーイではない。ムエタイのジムに通っていて 用心棒を兼ねている。

「通訳してくれ」彩夏に言った。

「お前はマイからチップを殴って取った。

お前がマイの誰だろうがそんなの関係ない。

俺の前で泣いた女は俺の友達だ。友達は守る」

2本のタバコに火を点けてからハンサムボーイに

その1本のタバコをくわえさせてやり、一服だ。

「マイの子供に土産を買ってやれとやったチップだ。

2度と手を出すな。次は手加減をしないぞ」

ハンサムボーイの名前は、カーオ(ご飯)だそうだ。

カーオは俺の目を見ずにただ頷いた。

カーオからマイのアパートの場所を聞きだした。

「治療代だ。マイをこれから子供の所に連れて行く」

マネークリップから5百バーツを抜き、カーオに渡した。

「それじゃあな」

車に乗ると彩夏が、 「ちょっと見直した」

「小学校から空手を習っていた。高校は柔道部」

「何段?」

「空手3段、柔道初段」

マイのアパートはタニヤから車で20分、 チャオプラヤー河に架かる橋を渡ったトンブリ地区にある。

プラモートの説明によると、 この辺りはバンコクの下町で古い家が密集していて、 日本人は住んでいないそうだ。

アパートは築20年くらいだろうか、コンクリートにヒビが幾筋も 入ったボロだった。俺たちは、2階右奥のマイの部屋に向かった。

ドアをたたくとマイが出てきた。

俺たちが立っていたのに驚いた表情をしたマイの目の周りは、

青あざが広がり、唇は立てに切れて痛々しい。

俺は、これから娘のプンのところに連れて行くとマイに言った。

マイは顔を横にふり、何か言おうとしたが俺の険しい目を見てあきらめた。

マイは部屋に戻り、しばらくしてビーズの付いたバックを持って出てきた。

バックを持ったその手は震えていた。

助手席に俺は座り、後部座席に彩夏とマイが乗っている。

後ろを振り返り、 「プンが待っているよ」

「やっぱり、行けない。部屋に戻して」

彩夏が震えるマイの手を握りしめて、

「マイ、言いたくないけど、カーオがあなたのことを本気で 愛しているとは、思えない」

マイは顔を横に振り、 「違う。カーオは、普段は優しくしてくれる。家に帰ると言ったから・・・・・・」

「子供に会わせてくれないのに?」彩夏が問い詰めると、 「・・・・・・それだけ、それ以外は」

俺はつい大声で、 「子供とあいつと、どっちが大切なのだ」

「あの人は、私がいなきゃ駄目なの」

「・・・・・・あんな小さな二人が手をつないで危険な道路で 働いていたのだ、帰ってやってくれよ。

もう子供はプンしかいないだろう。プン一人に危険な道路で花を 売らせないでくれ、頼む、お願いだ」

木村は通じたか通じなかったかわからなかったが、 タイ語で一生懸命にしゃべった。

マイは黙って、外を見つめた。

プラモートが先頭で、辺りに気を配りながらスラム街を通る。

プンは家の前で待っていた。

マイを見ると満面の笑みで走って抱きついてきた。

皆で家にあがった。

プンはマイの目のあざを撫でながら

「チェップ マイ カー」(痛くない?)

「チェップ マイ カー」(痛くない?)と何度も何度も聞いた。

マイは、我慢していた思いが堰を切り、 愛おしくて思わずプンを抱きしめると、

「ジャーク ニィーパイ ユ ドゥイ カン ナーン ナーン ナ

(これから ずっと 一緒に いよう)」

「プン パイ ロォングリエン ナ。 マイ タムガン エン ダーイ

(学校に行かせるよ。もう働かなくていいよ)」

プンはマイの切れた唇をさわりながら、 「プン タムガン ダーイ マイ ペン ラーイ(大丈夫 お仕事するよ)」

「チャパイ ル ヤン クラップ(もう行くか?)」

木村は照れて、タイ語で言った。 

「ヤン パイ トンニィ マイダーイ(今、行っちゃだめ)」

その時、プンが木村の手を押さえた。

プラモートは不思議な顔をして、外の様子を見てくると行って出て行ったのだが。

1分経ってもプラモートが戻らない、俺は待つことが苦手だ、プンの家から出た。

外に出ると、すぐそこにプラモートが倒れていた。

そして、その先に3人の仲間と一緒にカーオが鉄パイプを持っていて、

にやりと笑っている。

俺もやけくそで、にやりと笑った。

マネークリップから奮発して3千バーツを抜き出す。

ブルーワーカーの1ヵ月の賃金は、 6千バーツ程度でボーイの給与もその程度だろう。

紙幣をひらひらしながら、最高の微笑みをカーオに投げた。   

返ってきたのは、中指を立て、ウィンクしながらノーのサインだ。

顔の腫れがなければ、さぞかし魅力的なウィンクだろう。

「キーニヨ ナ ハーイ タンモット シー

(けちだな、持っている金全部よこせよ)」

4人が声を出して笑う。

「笑われちゃったか、やーめた」肩をすくめて、紙幣をしまった。

瞬時に状況を判断した。

後ろは断たれている。プンの家には逃げ込めない。

やつらを家には入れられない。

(逃道があれば何とかなるのだが、ばらばらに追いかけて来るのなら、 一人ずつならなんとか片付けられるかもしれない・・・・・・)

そう思ったが前後に逃げ道はない。

カーオ達は木村の前で扇型に等間隔で並び、前の進路を遮断するフォーメーションだ。

両サイドの男達は皮手袋をはめ、その上に先が鋭く尖ったメリケンサックをはめている。

もう1人の男は刃渡り15センチのナイフを取り出して見せた。

(俺をじっくり、弄ぶつもりらしい・・・・・・3人で俺の進路を遮断し、 カーオの鉄パイプで袋叩きにするつもりだ。そろそろボコボコショーの始まりか・・・・・・)

覚悟した。

カーオが鉄パイプを横にはらってきた。俺はあばら骨を避けて腹で受けた。

鉄パイプは脇腹に勢いよく食い込んだ。息が詰まって、呼吸ができず、 膝をついたところを間髪を入れず回し蹴りが俺の横顔を捕らえた。

ひっくりかえり天を仰いだ。

「ヤン ヤン」(まだまだ)

カーオは鉄パイプを振り上げた。

「あーあ」俺は頭を抱えて目をつぶった。 

鉄パイプが振ってこない。

 ビュンと空気を切る音が聞こえ、目を開けると、 カーオが額を押さえ、ひざまずいている。

ナカジマがパチンコを持って、家の前に立っていた。

いつの間にかカーオ達をスラム街の男達が取り囲んでいる。

屈強な大男を中心に15人はいるのだろうか、木村の味方のようだ。

「なんか状況が変わったようだね」

つぶやきながら、俺はほとんどダメージがなく起きあがった。

「ユウサン、ニィ プアン コーン チャン エン」

(ゆうさん、みんな私のお友達だよ)

プンが大男のそばで微笑んでいる。

「プアン コーン プン チャ チュワイ ユウサン

(プンのお友達が、ゆうさんを助けるよ)」

いきなりカーオの腰に大男のけりが入る。

カーオは見事に4~5メートル吹っ飛び、恐怖で引きつった表情をした。

「コトートッ ナ クラップ、チェップ ナ」(ごめんな、痛かったろう)

俺は近づいてカーオを起こし、頭を引き寄せながら

カウンター気味の頭突きをかました。

勢い良く鼻血が飛び散った。

プラモートはいつのまにか立っていて、 元ムエタイヘビー級チャンピオンの実力を発揮し、 汚名を返上するかのように容赦なくカーオの仲間達に襲いかかった。

すぐにカーオとその仲間は集められ、その周りを俺達が取り囲んだ。

「コトートッ コトートッ」(すいません すいません)

カーオは血だらけの顔を何度も地面にすりつけて謝った。

俺は、最後に思いきりカーオの尻にけりを入れて、

「オーク パイ シー、マイ マー ティ ニィ」

(出て行きな。ここには来るなよ)

カーオとその仲間は許されると、小走りでそこから去った。

カーオは4〇メートルほど先まで行き、逃げる準備が整うと こちらに石を投げて大声で怒鳴ってきた。

「バー、プルングニー マー」(バーカ、明日また来るぜ)

プンの頼もしい友達と港の屋台に集まった。

ソムタム(青パパイヤのサラダ)とガイヤーン(鶏肉炙り焼き)

パッタイ(焼きビーフン)で乾杯だ。

大男が、皆にタイ語で言うと、歓声が上がった。

俺は彩夏に、 「なんて、言ったの?」

「この日本人の奢りだ。ジャンジャン頼め」ですって」

「え・・・・・・」

大男はビックベアと呼ばれていてクラブの用心棒をしているそうだ。

プンはなかなか物騒な友達を持っている。

グラスを持って、彩夏とナカジマの隣に移った。

「パチンコ、すごい威力ですね」

ナカジマは黙ったまま、煙草に火を付けた。

「日本人なのでしょう?」

「・・・・・・・」

「ありがとうございました。あなたのパチンコで助かった」

「こっちの連中はよく使うのだ。

デモ隊も、パチンコで国軍に向かっていた」

彩夏が、 「どうして日本に帰らなかったのですか? 帰りを待つ親御さんだっていたのでしょう。

どうしてスラムになんか」

「よせよ。言いたくないことは誰にだってあるだろ。

すみません。この人、ジャーナリストらしくて」

「・・・・・・罪を犯したのだ。プンとマイ、スカンヤに一生をかけて償わなくてはならない罪だ」

彩夏がさらに、 「どんな罪なのですか」

ナカジマは、彩夏の質問には答えず立ち上がり、

「プンとカイのこと感謝している」

そう言うと去って行った。

「ずけずけ聞きすぎだよ」

「それが仕事なの」

「取材ってなにを取材しているの」

「去年の日本人青年による代理出産の事件、覚えている?」

「タイ人に自分の子供を何人も生ませた奴だろ」

「今、わかっているだけで子供が19人。彼、代理出産業者に (子どもが千人になるまで続けたい)って言っていた」

「1000人・・・・・・金はどこから」

「彼は大手IT企業の御曹司。資金はいくらでもある」

「動機は?」

「相続税対策とか不動産投資目的とか言われているけど、はっきりしない」

「不動産投資の可能性はあるかも。タイは外国人の不動産購入は分譲マンションに 限られているから、外国人がタイの土地を直接買うことができない。

そこで代理母に出産させた子供の名義で土地を購入する。

今、タイはアセアン統合に向けて、この不動産投資規制を解除する動きがあるんだ。

そうなれば、外国から巨大な資金が流れ込んで、不動産価格が上昇する。

その前に土地を買っておいて、規制が解除されたら売る。莫大な儲けになるよ」

彩夏は呆れて、 「だからって、何十人も子度は必要ないでしょう。

私は、目的は人身売買じゃあないかって睨んでいるの。

闇ルートでの児童買春、それに臓器売買」

「ちょっと、深読みすぎない?自分の子供にそんなことするかな」

「自分の子供だなんて思っていない。人間とさえ思ってないのよ。

だって、障害のある子供を産んだ場合、引き取り拒否で、 その上、ぺナルティ-として200万円を課すと代理母と契約していたのよ。

絶対、許せない」

「取材、まだ続けているのか」

「うん。今は臓器売買のルートを探っている。

子供の臓器を売る現実が東南アジアの貧しい国では、後を絶たないの。

中国が組織的に臓器収奪の犯行モデルをカンボジアに持ち込んでいる 可能性があるの。カンボジアで実態を調べたいの」

ビックベアが俺たちの話に割って、 「何をまじめな顔してしゃべっているのだよ。

みんな、お前たちのことが大好きなのだよ。楽しくガンガン飲もう」

「俺のことを大好きだって、照れるよな。がんがんやるか。

プラモート、お前も飲めよ。よーし、日本の歌を唄うぞ」

夕日を見ながら、唄い出した。

ぎんぎん ぎら ぎら 夕日が沈む

ぎんぎん ぎら ぎら 日が沈む

まっかっかっか 空の雲

みんなのお顔もまっかっか

ぎんぎん ぎら ぎら ぎら

日が沈む



泰田ゆうじ プロフィール
元タイ王国駐在員
著作 スラム街の少女 等
東京都新宿区生まれ