改訂版 新・スラム街の少女 ―灼熱の思いは野に消えて― 第四話「第1章 スラム街の少女プン 2」

愛は国境を越えてやってきた。

不思議な力を持つスラム街の少女プンとともに、 日本人駐在員は愛と友情をかけて、 マフィアと闘う。

女剣士・小夏 ―ポルポト財団の略奪―

空港からの帰り道、車は中心街に入り二週間前と同じ信号で止まった。

一度、止まるとバンコクではなかなか信号が変わらない。

長い時は十分もかかることがある。

俺は幼い兄妹から小さな白い花輪をここで買ったのを思い出した。

信号の近くに幼い兄妹はいなかった。その代わり、信号の近くの路肩に小さな白い花と線香がおいてあった。

・・・・・・ここで事故があったのだろうか。

佐々木の言った言葉を思い出し、いやな予感がして運転手のプラモートに 小さな白い花輪と線香のある路肩に車を寄せさせた。

プラモートに命じて近くで同じ小さな花輪を売っている男の子に 幼い兄妹のことを聞いてもらった。

プラモートは車に戻り、前を見たまま英語を交えながらゆっくりと話し始めた。

「昨晩、交通事故で幼い兄妹の兄が死んだようです。幼い兄妹はグリーンの ボルボに近づいて行って転び、兄が近くを通過したバイクに跳ねられたそうです。

妹は軽傷で近くの病院で手当てを受けているそうです」

・・・・・・車にあの子を近づけたのは、俺なのだろうか。

かわいい妹を残してどうするのだよ。大きくなって 同じことができなくなっちゃったじゃあないか・・・・・・

胸の奥でやるせない悲しみがゆっくりと広がっていった。

「プラモート、妹がどこの病院にいるか聞いてこいよ」

「了解です」

事故現場から500メートル程離れた場所に総合病院がある。

おそらくそこに運ばれたのだろうということだった。

俺とプラモートは、その病院に向かった。

病院の受付で昨日事故にあった子供のことを聞くとすぐにわかり、 担当の医者に案内された。医者は、30代の前半くらいだろうか童顔で目がやさしい。

その医者はいきなり日本語で話した。

「ご家族じゃあないですよね」

この病院の医者は日本の医大卒が多く、日本語がしゃべれる医者が多い。

俺は、その医者の質問にうまい答えが見つからず、 「えーと、関係者です」と適当に答えた。

「まあ、いいでしょう。家族が迎えに来ないので困っていました」 医者の説明によると兄妹は同じ病院に搬入されたが病院に着いた時、 兄はすでに手遅れだったそうだ。

「男の子は、バイクに跳ねられた上、後続の車に轢かれたようです。

兄は妹のことが心配だったのでしょう。

妹の手を握り、 一生懸命に最後の言葉を話していました。

残念ながら内臓破裂で 何も処置できませんでした。

間もなく男の子は息を引き取りましたが、女の子は足に擦り傷の軽傷です。

患者の身請けと死体引き取りの2通の書類にサインをお願いします」

その書類は、タイ語で書かれている。

なんだかよくわからなかったが医者の笑顔に押されてサインをした。

「支払いは?」

「事故現場に居合わせた人でしょう。

子供を車に乗せて連れて来た女性が支払いを済ましています」

看護婦が新しい白い運動靴を履いた女の子と日本人らしい若い女性を連れて来た。

 「日本の方ですか」

「はい、佐藤彩夏と言います。たまたま事故に居合わせて、 私が二人を病院まで運びました。タイの病院では救急でも医療費が 払えない患者は診てもらえないので」

「男の子のほうは・・・・・・・」

「亡くなりました」

「・・・・・・仕事はなにを」

彩夏が名刺を出し、 「フリーのジャーナリストをしています」

俺も名刺を慌てて出して、 「不動産の仲介業務をしています。木村讓といいます。

タイには来たばかりで。彩夏さん、タイ語は?」

「タイ語学校に行っていました」

俺は、しゃがんで、女の子と目線を合わせた。

女の子は、俺の顔を覚えていて、巻かれた包帯の下の白い新しい靴を指差し、 「コックン、カー」(ありがとう)と微笑む。

彩夏がタイ語を通訳してくれた。

「チュウ アライ カー?」(お名前は?)

「プン(蜜蜂) カー」(プンだよ)

「バーン、ユー ティーナイ カー」(家 どこ?)

「クロントゥーイ  クライクライ ニー カー」(この近くのクロントイ)

「ポー メー ユー ティ クロントゥーイ ロー?」(ご両親はクロントイに?)

「ポー ダイ レーオ」(おとうさんは死んだ)

俺は、看護婦に「家族が男の子を引き取りに来る」と彩夏に伝えてもらい、 急いで病院を出た。

プンは、木村に手を引かれながら微笑んでいる。

木村にとって懐かしい手の温もりだ。

(・・・・・・お兄ちゃんが死んだことを知っているのだろうか)

俺たちはすぐそこのクロントイのスラム街に向かった。

赴任前に読んだクロントイのスラム街についての資料を思い出した。

クロントイのスラム街は、タイ王国に千以上はあるスラム街の中では 最大規模だそうだ。

80年くらい前に現金収入のためバンコクに出稼ぎにきた農村の人々が、 貨物船からの積荷運びなどの港湾局の仕事をするようになり、
勝手に港湾局の国有地に住み始めたものらしい。

プンはトタン屋根に廃材を使ったバラック小屋が密集しているスラム街の中を 俺の手を引っ張るようにして進んで行った。

プラモートは彩夏の背後で周りを用心しながらついて来た。

プンは、時折振り返り、みんなの顔を見て、はにかむように微笑む。

スラム内は野良犬や野良猫も多数いた。ごみと糞尿が混ざりあった 独特のにおいが鼻をさす。

そこは、うんざりするような退廃が澱み、実に重い空気だ。

外からのぞくとバラック小屋の中では、タイでは禁止されているトランプでの賭けを しているのだろう。

紙幣と嬌声が飛び交っている。通りには屋台があり、 グワイッティヤオ(米粉で作った麺)やタバコをバラで(1本単位)で売っている。

道路の端にしゃがみこんでうまそうにタバコを吸っている老人とそのそばで 平然とシンナーを吸っている若者達がいた。

スラム街の中に公立学校がある。この学校は、スラムの子供達への 教育支援活動を評価され、アジアのノーベル賞と言われるマグサイサイ賞を 受賞したプラティーブ女氏が始めた一バーツ塾が後に公立学校となったものだそうだ。

プラティーブ女氏は、このスラム街で育ち、プンのように六歳から路上で もの売りをしていたそうだ。

彼女は、学校に行きたいと向学心に燃え夜間中学・高校を出た。

そしてみんなが貧困から抜け出すためには教育が必要と目覚め、夜間は師範学校に通い、 昼は貧しい子や出生証明がなく公立学校に行けない子のためにスラム街に 1日1バーツで読み書きを教える塾を開設したそうだ。

彩夏が、 「第二次大戦後、国連は3万6千人の日本兵捕虜を解放した際に このクロントイで待機させ帰国させました。

ここのスラム街のタイ人は戦争に敗れ心の支えを失っていた日本兵に 果物や食料を親切に分けてくれたそうです」

「そうなんですか」

「それじゃあ、東日本大震災があった時、ここのスラムの人たちが、 募金をしてくれたのは知っていますか」

「いや」

「阪神淡路大震災の時も、日本から奨学金を受けていたここの子供たちが 率先して募金箱を手に路地を回って集めたのです。

スラムの子供たちも、 わずかな小遣いから1バーツ、2バーツって寄付してくれて」

「知らなかった」

 「日本人のほとんどはしらないでしょうね」

(・・・・・・この貧しいスラム街の人たちは、 決して楽ではない暮らしから被災者に寄付をしたわけだ。

貧困の中でも人を思いやる心が子供達にも芽生えている。

俺たち日本人は、何かとても大切なものを豊かさの代償で 忘れ去っていないだろうか)

スラム街の学校からさほど離れていないところにプンの家があった。

家の鉄格子シャッターの向こうに老人と婦人がいるのが見えた。

プンが声をかけ、俺たちは部屋に招き入れられた。

その一部屋で寝起きから食事などの全ての生活が営われているのだろう。

寝具から生活用品まで置かれている。  

プンは、 「助けてくれたお姉さん、靴を買ってくれたおじさん」と俺たちを紹介した。

「ありがとう。プンの婆ちゃんのスカンヤです。

これは、父みたいなナカジマです。日本人です」

スカンヤはたどたどしい日本語でお礼を言い、老人を紹介した。

「日本人なのですか」

俺の質問にその老人は、黙って頷いた。

彩夏がタイ語を混ぜながら一部始終を説明すると、 スカンヤは声を出して泣き始めた。

老人は、下を向き、煙草に火を点けた。。

スカンヤは気を取り戻し、30分ほど外出した。

近くの寺に行ってきたようだ。

「明日、ここの寺で朝、葬式します。

みんな、来てください。死んだカイも喜ぶ」

彩夏が、 「プンちゃん、わたしたち、明日、来るね」と、

葬儀に出る約束をして家をでた。

「出会いって神秘的なものなのよ。偶然の出会いなんてこの世にはないの。 出会いは約束された魂の再会なの」

(死んだお袋は、いつもそんなことを言っていた。

俺とプンとの出会いもそうなのだろうか)

俺は、うしろ髪を引かれながら事務所に向かった。



泰田ゆうじ プロフィール
元タイ王国駐在員
著作 スラム街の少女 等
東京都新宿区生まれ