私と柔道、そしてフランス…
- 第四十八話 新天地・モンペリエへ- 2019年7月18日
ゼネストの後なので、流石のフランス人も遠慮がちにヴァカンスを取るのかと思いきや、とんでもありませんでした。
法律上、取らさねばならない企業側と、取らねばならない従業員側とが絶妙にかけあって、数週間から一ヶ月堂々と休むのです。
日本では有給休暇を一週間続けて取ることも難しかった時代にです。
日本人社会の気の遠くなるような制度上の遅れと、“仕事”と“生活を楽しむ”こととのバランスを取るのが苦手な我々をひしひしと感じました。
9月、ラテン区と呼ばれる学生街に様子を見に行きました。
学生と保安機動隊とが連日衝突し、約10㌢四方の石畳と催涙弾が飛び交った地区です。
学内・学外共に人影は少なく、剥がされた石畳に代えてアスファルトに敷きかえる工事が行われているのが印象的でした。
話は飛びますが、石畳はその後もかなり残っていたようで、50年後の昨年2018年11月17日から始まり、その後毎週土曜日にフランス各地で過激なデモを繰り返している「黄色いベスト運動」の武器として再び使われたことは、記憶に新しいところです。
現在、この石畳が記念品として販売されている事実にも驚かされます。
この頃、ド・ゴール大統領自ら提唱した「地方分散化・地方分権化(Décentralisation)」について至る所で議論が盛んになり、“地方を見直そう!”という機運が盛り上がっていました。
そんなある日、こうした機運の影響かどうかは定かでありませんが、竹内支配人から南仏モンペリエ(Montpellier)に移住し、全製品担当のセールスマンとしてモンペリエ/トゥールーズ(Toulouse)/マルセイユ(Marseille)/ニース(Nice)などを担当するように言われました。
全く予想もしなかったことなので大変驚き、戸惑いました。
と同時に、一度も受注したこともない私に、長らく手をつけられていなかったこの地方の活性化という試練を与えてくれた竹内支配人の決断に、心から感謝しました。
また、日本電子(ジェオル)の最重要機器「電子顕微鏡」を担当できることも大きな喜びでした。
南は美しい地中海に面し、北にはセヴェンヌ(Cévennes)山塊を控えた、人口約16万人の学園都市モンペリエに拠点を置く第一の理由は、モンペリエ大学理学部と薬学部とに2台のジェオルの電子顕微鏡がすでに納入されていたことです。
また、当地の1289年に設立された医学部は、パリ大学医学部と並ぶフランスのエリート医学部で、1968年当時存在していた世界の医学部の中の最長老でもあり、ライヴァル会社の電子顕微鏡が何台か稼動していて、さらに新たな需要が見込めるからだったと記憶しています。
私の担当する四都市の共通点は、高等教育環境・大学研究施設が充実していることです。
CNRS(Centre National de la Recherche Scientifique-国立科学研究センター)などの研究施設が市内外至るところに存在していて、CEA(Commissariat à l'Energie Atomique-原子力庁)の広大な研究施設も二ケ所にあり、さらにトゥールーズは航空産業・宇宙開発、マルセイユは鉄鋼・化学・プラスチック産業などが発達していましたから。
我々の科学分析機器の需要はこの地域に充分あると見込んでの異動でした。
11月、下見で見つけたアパルトマンに居を構えました。この住居はジェオルのモンペリエ営業所を兼ねていました。
ヴェランダの真前に、約250年前に完成した美しい水道橋が連なって見える素晴しい場所でした。
次回は「第四十九話 過酷な営業活動、余暇は柔道」です。
【安 本 總 一】 現在 |