私と柔道、そしてフランス・・・ - 第四十七話 五月革命前夜のパリへ-

私と柔道、そしてフランス…
- 第四十七話 五月革命前夜のパリへ- 2019年7月4日


  1968年3月半ば、ルエイユ・マルメゾンの日本電子(海外社名:JEOL=ジェオル)に戻ってきました。同支社設立以来初めての日本人セールスマンとしてです。

  営業部は私を入れて五名。私以外はみなフランス人です。

部長は電子顕微鏡などの電子光学機器、副部長がNMR(核磁気共鳴装置)・アミノ酸アナライザーなど化学分析機器を担当し、全製品担当のセールスマン二名を地方(ポアチエとグルノーブル)に配置していました。

そこに、私が化学分析機器類の担当として加わった訳です。

  学歴社会である上に常に資格/専門性を求められるフランスで、彼らはそれなりの学歴と、専門的知識を持った優秀なセールスマンとして活躍していました。

その彼らに、文系出身の上、日常会話に毛の生えた程度のフランス語を話す私などが受け入れてもらえるのだろうかと、一抹の不安はありましたが、意外なことに、この件ではとくにネガティブな反応はありませんでした。

  ただ、日本での学生時代は柔道の稽古に明け暮れ、1963年11月から約2年半のフランスは、柔道ナショナル・チームのコーチとして滞在したことを知ると、「信じられない!」を連発していました。

「ムッシュー・ヤスモトのような例は、この業界では初めてだろう!」とだれかが言うのに皆が頷いていました。

褒められているのではないことは、その時の雰囲気から感じました。

  しばらくの間、営業部の部長・副部長に従って客先を回りながら、当該市場についてのレクチャーを受けていました。

ルエイユ・マルメゾンの隣町にあるパリ大学ナンテール分校(現在のパリ第10大学)を見学に行ったとき、1966年頃に始まったストラスブール大学学生による大学・教育の民主化を求める運動がナンテール大学に波及していることを実感しました。

この波はあっという間にソルボンヌ大学(パリ大学)の学生の自治と民主化運動に繋がっていきます。

  1968年の「プラハの春」や各国・各地で起っていた「ベトナム反戦運動」の影響は明らかで、労働者も学生に賛同し、学生運動から反体制運動へと移行していきました。

5月初めにはナンテール分校が閉鎖され、締め出された学生がソルボンヌ校を占拠しようとして警察・フランス共和国保安機動隊と衝突。

これを契機に社会変革を求める大衆運動が全国に波及、労働団体・組合、交通システム、郵便通信電話局などもストライキに突入し、フランス全体が麻痺状態に陥ってしまいます。

フランス公共放送も放送を中止しました。ゼネストです。「五月革命」とも呼ばれました。

5月革命を伝える雑誌「Le Monde」の表紙
【5月革命を伝える雑誌「Le Monde」の表紙】

  そんな最中、中止になると思っていた恒例の“MESUCORA”という分析機器関連の展示会が敢行されました。

分析結果をオンライン処理するコンピューターの展示のため、“ジェオル”も高額のブース代を支払って参加しました。

  会期中、フランス全国の公共交通が完全に麻痺し、タクシー会社・ガソリンスタンドの多くがストをしている中、幸い、私は会場のあるデファンスの近くに住んでいたので徒歩で通うことができました。

しかし、会場に来られない出品者も多くいました。

  一日目は、入場者はだだっぴろい会場に数百人しかなく、一週間の会期中に少しは増えたものの、入場者数では歴史的に最低の展示会になったようです。

MESUCORA ゼネスト中のJEOLのブース
【MESUCORA ゼネスト中のJEOLのブース】

 5月末にド・ゴール大統領は辞任を拒否し、議会を解散しました。

これを契機に騒動も治まり、6月末に二回行われた総選挙でド・ゴール大統領に近い政党がなぜか大勝利を収めたのです。

結局、フランス世論は極左的運動を恐れて、一時的に保守化したのではないかとのことです。

  こうした結果から、「五月革命」は成功しなかったとして、「五月危機」と呼ぶ政治評論家も多いと聞きます。

  この後しばらくの間、大学の研究室などへの訪問は控えるように言われました。

確かに、様子を見るためにパリ大学などに近づくと、何度も警官に身分証明書の提示を求められるなどして、飛び込みで研究室を訪れるのは不可能なことが分かってきました。

  仕方なく、ジェオルの展示場に設置してあるデモ用のNMRを見ながら、専門家の村上エンジニアからレクチャーを繰り返ししてもらったり、機械の性能をチェックするために試料をもって来社するお客様のアテンドを担当したりして、NMRに対する理解を深めるようにしていました。

NMRのスペクトルの例
【NMRのスペクトルの例】

 次回は「第四十八話 新天地・南仏モンペリエへ」です。 

筆者近影

【安 本 總 一】
現在