私と柔道、そしてフランス…
-「第三十八話 忘れられない人々 (その一)」 -(レゲット先生のこと...) 2019年2月28日
イギリス滞在は約一年と短期間ではありましたが、様々な方に支えられて、様々な新しい世界に触れることができました。
とくにレゲット先生には、想像だにしなかった経験をさせてもらいましたし、「日英文化比較論」の権威として、日・英のものの考え方・見方の違いを懇切丁寧に話してもらいました。
先生は1946年にBBC日本語部長に就任。それから23年半の在職中、栄転・昇進の機会は数多くあったようですが、日本語部に残るため、オファーをすべて拒絶したそうです。
その間、柔道家(講道館6段)・著述家・翻訳家・書家として各方面で大活躍。同時に、将棋(5段)・仏典・漢籍・禅道を極めていました。
思い出すのは、日本の著名な女性書家・町春草氏が来英して、日本大使館でデモンステレーションを行った時のこと。
町氏が旧知の仲の先生に冗談半分で「何か書いて!」と言ったところ、先生は臆することなく、町氏の字を書写して見せ、その出来栄えに町氏がびっくり仰天したことです。
その先生から、BBCの仕事をいくつか頂きました。
そのひとつは、日本向け放送でフランスの柔道事情を紹介すること。
事前に用意したものを読むだけでしたが、初めての経験でもあり、生放送でしたのでかなり緊張しました。
この日、BBCには、下の写真(注1)のように、第三十三話でご紹介した渡辺喜三郎先輩、早大柔道部の大先輩で来英中の参議院議員、八田一郎氏(注2)も呼ばれていました。
そこにレゲット先生のアシスタントで柔道家のジョン・ニューマンさん(注3)が加わり、柔道談義に花が咲きました。
また、BBCテレビのカラー放送第1回試験放送(1966年)にも出演しました。
「柔道・投の形(なげのかた)(注4)」を前述のニューマンさんを相手に演じて欲しいとの依頼でした。
日本でもフランスでも何度も演じてきましたので自信はありましたが、ニューマンさんと念入りな練習を重ねました。放送は大成功でした。
ただ、担当の女性ディレクターは「柔道着の白と黒帯のコントラストがとても美しかった!」 柔道を見るのは初めてということで、無理もありませんでしたが。
ところで、先生のケンジングトンのお宅には、渡辺先輩が下宿していたこともあって、チョクチョク訪問しました。
一生独身だった先生は身軽に動き回って、簡単な食事やお茶を振舞ったり、一時ピアニストを目指したこともある先生は、気が向けばお得意の曲を弾いてもくださいました。
驚かされたのは、先生の紅茶の淹れ方でした。
先ず、大きなヤカンでお湯を沸かしながら、そのヤカンにお茶葉を豪快に入れ、沸騰してくるとようやく火を止め、たっぷりとミルクを入れたティーカップに注ぐのです。
そして、周りがやめるよう説得しても、「これが紅茶の一番美味しい淹れ方」だとして、年がら年中こうしてお茶を楽しんでおられました。そして先生の勢いに押されて、周りも!
先生の観察によれば、イギリス人と日本人を比べると、イギリス人の方がより「謙譲の心」を持っているとのことで、その良い例としてエスカレーターに乗る際、イギリスでは下の写真(注5)のように、人々は右側に立ち、急ぐ人はその左側を通り抜けて行く、というのでした。確かに当時の日本では(フランスでも)、片側を空けないで乗っていました。
日本では、1967年大阪のデパートでイギリスを真似て「右立ち・左空け」が始まり、大阪万博で浸透したとされています。
面白いことに、その後日本では、大阪以外では「左立ち・右空け」が主流になりました。規律を守らないフランスでも、いつからか分かりませんが、どこでもエスカレーターは「右立ち・左空け」になりました。
ただ、日本ではご存知の通り、「片側空け」は危険だとして、禁止の方向のようです。いろいろ国民性が出て面白いですね!
(注1)(注5)
1973年に上梓された先生の著作「紳士道と武士道-日英比較文化論」に掲載された。
(注2)
八田一郎氏:1929年、早大柔道部のアメリカ遠征に参加するもレスリングに敗北。帰国後、レスリングに転向し、レスリング部を創設。
これが日本レスリングの始まりとなり、「日本レスリングの父」と呼ばれる所以です。そのスパルタ強化指導で世界有数のレスリング王国を築き上げたことで有名。
(注3)
ジョン・ニューマン:ヨーロッパ柔道選手権にて、団体優勝(1957年)、初段チャンピオン(1957年)、二段チャンピオン(1958年)。1970年、レゲット先生の後を継いで「BBC日本語部長」に就任。
(注4)
投げの形: 技を仕掛ける人とそれを受ける人が、いわば振り付けのように決められた型を繰り返すことで次第に攻撃・防御の技を体得していく。その決められた型のことを「投げの形」と呼ぶ。
次回は「第三十九話 忘れられない人々(その二)」です。
【安 本 總 一】 現在 |