私と柔道、そしてフランス…
-「第三十七話 語学(英語・フランス語)勉強の難しさ(その二)」 - 2019年2月14日
茨木先生がパイロットの道へ進み家庭教師を失い落胆していたところ、母が走り回って、ほどなく次の先生を見つけてくれました。
私の小学校・中学校の級友・関健君のお母さんです。高校入学までの短期間ですが、懇切丁寧に日常会話を中心に指導してもらいました。
関先生は、アメリカで生れ育ち、結婚後の日米大戦中は日系人強制収容所に家族と共に収容され、第一次交換船で帰国(?)するという数奇な人生を送った、日米史の貴重な証人です。
さて、ロンドンに移住してからは、ただちに語学学校「パートニー・カレッジ」に登録し大分長い間お留守にしていた英語の学習を再開しました。
15~6名のクラスで、なぜか男性は私を含めて2名。日本人女性が2名。ドイツ、北欧からの留学生が多いのが目立ちました。
気になったのは、フランス人が見当たらなかったことです。
授業が進むにつれて、日本の学校や個人教授で学んだ英語はアメリカ英語で、この学校で学ぶイギリス英語とは、文法・発音・言葉の意味などで、かなり異なることが分かってきました。
ただ、私は初めて学ぶ言葉として英語の学習を再開していましたので、全く違和感はありませんでした。
ただ、ロンドンの庶民・労働階級の言葉といわれる「コックニー(Cockney)」には苦労しました。
そのアクセントとスラングなどのせいで、私にはほとんど理解できませんでした。
同じ英語とは思えない言葉でした。
しかも、下宿を一歩出るとコックニーを避けて通れません。
とくに、しょっちゅう顔を出す柔道場では、このコックニーが主流です。
ある時、BUDOKWAIで、稽古の後、顔見知りの若い門人が、典型的なコックニーで親しく話しかけてきました。
なんとか応対できて、道場を出ようとしたところ、側にいて我々の様子を見ていたレゲット先生からお呼びがかかり「コックニーを話す連中とは、あまり話をしないほうが良い!君の英語がおかしくなる!」と厳しく指摘されました。
キングスイングリッシュの最後の砦的なBBCの日本語部長を務める立場からの発言だと想像しましたが、イギリスの厳然たる階級社会の一面も見た思いでした。
それから、半年ほどたったころ、同じレゲット先生に「もう充分勉強しただろうから...」と、その頃の私にとっては過分の仕事を紹介されました。
たぶん、自分のために得た仕事を回してくれたものと理解しました。
それは、黒澤明監督の白痴(1951年の作品)の日本語サウンド・トラックを英訳する仕事でした。
ロンドン・カウンティー・ホールの映画博物館で映写される予定とのこと。初めは固く断りましたが、「全面的に協力するからやりなさい!」と半ば命令されて、作業を始めました。
先ず、先生のかなり大きな録音機を借りて博物館に運びこみました。
画像を見ながらサウンド・トラックを録音し、その大きな録音機を今度は下宿に持ち帰り、再生しながらワンフレーズごとに訳して、雑記帳に走り書きしていきます。
次に、その原稿を先生宅に持ち込んで、“赤”を入れてもらいました。
その懐かしい雑記帳を大事に保管していましたので、その最初の一頁を添付しました。
この中で台詞の前の:
は“赤間”役の「三船敏郎」
は“亀田”役の「森雅之」
を意味します。
“赤字”だらけで、私の力不足は明らかですが、それでも先生には「良くやった!」と褒めてもらいましたし、私としてもここまでできるとは想像もしていませんでしたので、とても嬉しい結果でした。
ただ、作業はこれで終りではありませんでした。
先生は夜を徹して全文をタイプアップ。そのスピードには度肝を抜かされました。
博物館から出たかなりのお礼をシェアーしようと思っても、先生はかたくなに拒絶され、「この仕事を引き受けてくれてありがとう!」と反対に感謝される始末。御礼の言葉もありませんでした。
次回は「第三十八話 忘れられない人々(その一)」です。
【安 本 總 一】 現在 |