私と柔道、そしてフランス…
-「第三十話 周辺国への観光旅行(その一)」- 2018年11月9日
フランス到着以来、フランス以外の国に最初に足を踏み入れたのは英国でした。1964年の春のことです。
英国といっても、ノルマンディーのサン・マロ湾に浮かぶ“ジャージー(Jersey)島 ”で、フランスの港からたった14㌔。一方、イギリスまでは最短距離でも160㌔離れています。
“ジャージー島”と聞いて、直ぐに思い出したのは、「ジャージー牛」を初め、「ジャージー生地」「ジャージー編み」などで、日本でも話題になる島ですが、ノルマンディーの一部といえるようなところにあるとはまったく知りませんでした。
オーブレ氏(第二十六話)に、いつもの4人がグランヴィルに招待されたとき、彼が経営するビスコット会社の日帰り社員旅行に我々も参加させてもらうことになりました。
グランヴィルから船に乗り、2時間ほどでジャージー島に到着。長い行列を見て、ハッとしました。
パスポート・チェックです。オーブレ氏からパスポートを持ってくるように言われていたにも拘らず、パリに忘れてきたのです。
シマッタと思ったときはすでに遅し!
私は諦めてフランスに戻ろうとしましたが、オーブレ氏が交渉してくれた結果、入国できることになりました。
後日、いろいろなところで聞きましたが、この島の入国審査はことに厳しく、パスポートを持っていない日本人に入国を許可するなどは例外中の例外であったようです。これもオーブレ氏のお陰!
風光明媚なこの島は、 古代の遺跡や中世の城もあり、昔も今も多くの観光客を集めていますが、イギリスの法律が及ばない王室属領地のため、タックス・ヘイブンとしても有名で、多くの銀行、ペーパーカンパニーで賑わっています。
その次のフランス国外旅行はイタリアでした。
1964年7月初め、国際合宿が行われるボーヴァロンへの汽車の切符を買おうとしていたところ、富賀見先輩・大国君から思わぬ提案がありました。国際合宿の後、4人でイタリアへ行こうというのです。
それも、パリから大国君の車(シムカ・アロンド)で。伊藤君も私も大賛成でした。
経費節約のため、調理器具持参で原則“自炊”、3日に一度はシャワー設備などが整ったキャンプ場に宿泊。
と言ってもテントなどは持っていないので、二名が車の中で、二名が地面にゴザを敷いて寝ました。若かったのですね!
行程は、フランス(パリ → ボーヴァロン) → モナコ(モナコ) → イタリア( ジェノヴァ → フィレンツェ → ローマ → ナポリ → リミニ → ヴェネツィア→ ミラノ → トリノ) → フランス(ボーヴァロン → パリ)。
その間、大国君が一人で運転し続けました。総走行距離約4500㌔にもなります。
因みに、日本の北海道最北端(宗谷岬)から鹿児島最南端(佐多岬)までの道路距離が約3000㌔だそうですから、推して知るべしです。
当時は、私も伊藤君も運転免許は持たず、また、大国君は常日頃「運転は人に任せたくない」と言っていたので、仕方がないのですが、「疲れた」の一言もなかったことを思い出して、「凄い男だった」と改めて感心しています。
この旅行の目的は観光でしたが、もう一つ楽しみにしていたことがあります。
それは、イタリア初の日本人柔道指導者であり、早大柔道部の先輩でもある大谷研先生を訪問してお話をうかがうことでした。
先生は、1920年生まれで、1950年に早大を卒業し、1953年に柔道の指導と彫刻の勉強の2本立てでイタリアに渡航、ローマに定住して、西欧諸国は元より、ソ連、東独などの東欧諸国でも柔道を指導し、イタリア柔道界の信頼と尊敬を一身に集める異才でした。
ただ、彫刻家としては、イタリア芸術の凄さに圧倒され、挫折感を抱いたと、その一端を車の中で披歴されました。
次は「第三十一話 周辺諸国への観光旅行(その二)」です。
【安 本 總 一】 現在 |