私と柔道、そしてフランス…
-「第二十一話 いよいよマルセイユ !」- 2018年7月5日
夜遅くバルセロナを出た船は、いよいよ最終目的地・マルセイユへ向かいます。
さすがに興奮したのか、ほとんど寝ていない状態で、まだ暗いうちに甲板に出ました。
すでに、船はマルセイユ大桟橋沖に到着していたようで、静かに夜明けを待っているという風情でした。
ただ、濃霧がたちこめ、4、5メーター先がまったく見えず、かなり冷え込んだ朝ではありました。それでも、ジッと明るくなるのを待ちました。
周りが白みかけてきて、船が霧の中をゆっくりゆっくり進み始めました。
背中に暖かさを感じ始めたので、太陽が昇っているのも分かりました。
そして、次に船が停止すると同時に、前方の霧が嘘のように消え去りました。まるで劇場の緞帳が開くようでした。
そんなに遠くないところに、石灰岩の断崖が、昇ったばかりの太陽に照らされて白く光っています。
港の周りには渋いオレンジ色の瓦屋根の家々。断崖の白と瓦のオレンジ色がみごとにマッチして、それはそれは美しい感動的なシーンが目の前に広がっていました。
1ヵ月の船旅を終えて、いよいよフランスの土を踏むことになります。
1963年(昭和38年)11月14日か15日でした。55年前のことです。
ありがたいことに、入国手続、大量の船倉荷物の通関、発送、パリまでの夜行列車の切符の手配まで、すべて船上で済ませていました。
そして、大国君と共に、タクシーは使わず市営バスでマルセイユへ向かい、その中心街まで難なく出てこられたのは上出来でしたが、ふと気がつくと、日本を出る前に無理して購入した高価なカメラを船に忘れてきていました。
時間的には余裕があったので、すぐ港に戻ることにして港行きのバスの停留所を探しましたが、見つかりません。周りの店や通行人に尋ねても、けんもほろろ。そこで思いついたのは、ヒッチハイクです。
必死の表情で手を上げた途端、一台が急ブレーキを掛けて止まってくれました。
港の近くのレストランで働く中年の女性で、快く船まで連れて行ってくれた上に、カメラを無事引き取った私を待っていてくれ、先程の中心街まで送ってくれたのです。
なんとお礼をしようかと戸惑う私を尻目に “ボン・セジュール(楽しい滞在を)!”と言い残して、去って行ってしまいました。
日本出発前に、先輩たちから聞いていた“フランス人は不親切”がどこかに吹っ飛んでしまいました。
また、全く自信のなかった自分のフランス語が理解してもらえたようで大きな励みとなりました。
夜、大国君と市内の中華料理店でフランス到着をワインで祝った後、フランスが世界に誇る鉄道でパリへ。
10数時間を走り続けた夜行列車は、翌朝パリ・リオン駅に到着しました。
プラットフォームには、日仏学生柔道協会第一次派遣学生で、すでにフランスチーム の指導に当たっていた富賀見真典先輩(明大柔道部OB、現レバノン在住)が迎えに出てくれていて、我々のとりあえずの宿泊先、国際大学都市の「日本館」に案内されました。
この「国際大学都市」は1925年、パリ南端の14区の広大な土地に、世界各国の学生、研究者、教師、芸術家などの宿舎群として建設されました。
そして、1929年には、当時の駐日フランス大使で、詩人・劇作家として著名なポール・クローデルが「日本館」建設を提唱し、日本人実業家の薩摩治郎八(1901年~1976年)の全額寄付によって建設されました。
当時の日本館館長・木内良胤氏が、日仏学生柔道協会の常任理事でもあったという事情も幸いして、約半年間でしたが、当館に宿泊できることになりました。
11月23日朝、散歩の途中「安本君、大変なことが起ったよ!」と呼びかけられ、前日22日午後12時半(フランス時間:22日午後7時半)に起った“ケネディー大統領暗殺”を教えられたのも木内館長からです。
第十五話で紹介した11月2日の“ヴェトナムのゴ・ディン・ジェム大統領暗殺”も思い出し、もって行きの場所のない強い不安に駆られました。
その頃の日本館には、お役人、大学関係者、研究者、仏文学者、仏語教師、国鉄関係者、画家などで満杯で、学生は皆無でした。
安い寮費、とんでもなく安く3度の食事ができる学生食堂館もあり、いろいろな意味で一番むずかしい時期を安価に、快適に過ごせたことは大変幸運なことでした。
現在、外務省管轄になっているその日本館は、寮としてはもちろん、日本人会を初めとする各種同好会などのコンサート・講演会・講習会・勉強会などで年々利用度が高まっています。
大サロンと入り口正面には、薩摩治郎八の注文を受けて、藤田嗣治画伯が精魂を込めて描いた大作2枚が掲げられていて、一般公開されています。
3年程前に、ふだんは訪れる人もいない館長居住区域の応接室に入ったことがあります。
そこで元競輪の選手で「光と風」を描く加藤一画伯の2枚の絵を発見したのです。
次回は「第二十二話 パリ生活の始まり」です。
【安 本 總 一】 現在 |