私と柔道、そしてフランス…
-「第十八話 極貧のインドへ」- 2018年5月24日
しばらく前から続いている猛暑に耐えかねた大国君が、どうしても2等船室にあるプールに入りたいと言いだしました。
二人とも“駄目!”といわれると、ますます可能性を追求する方で、色々探索した結果、あるとき、2・3等船室共通の調理室を通って、何の障害もなくプールに通ずる抜け道を見つけました!
しかし、チェックは厳しく、プールに着くと間もなく2等船室担当のパーサーが飛んできました。
幸いなことに、このパーサーは我々の“船上トレーニング”を何度か見学に来ていて顔見知りでした。
侵入者が我々であることに気がつくと、ウィンクをして、「あなた達は、退屈している船客を毎日楽しませてくれているので、今度はあなた達がこのプールで楽しんで下さい」と言ってくれるではありませんか!それからは大手を振ってプールを利用したことは言うまでもありません。
ところで、1960年初頭に大ベストセラーになった小田実の『なんでも見てやろう』(注1)を、この旅のバイブルとして携帯していましたが、この本に、アジアで最も貧しい国・疫病の巣として紹介されているインドに近づいてきました。
ボンベイ(現在のムンバイ)に到着したときも、この本の描写にはまだ半信半疑でした。
波止場には、当時JALのボンベイ営業所所長を務めていた叔父夫婦が出迎えにきてくれました。
子供の頃、とても可愛がってもらったその叔父夫婦に、世界の片隅で会えることにいたく感動しました。
そして、大国君・小島さん・金井さんも一緒に夕食に招待され、叔父さし回しの車で郊外の家に向かう途中、インド人運転手に街を案内してもらうことになりました。
まずは、中心街に出てみました。
1947年にイギリスから独立したとはいえ、香港・シンガポール・コロンボ同様、いまだイギリス風のビルディングが建ち並んでいます。
そこで先ず驚かされたのが人の波。その中に多くの物乞い、肢体不自由者、明らかに皮膚病を病んでいる人々。
そこに、インドでは神聖な動物である牛が加わり、学生時代のギリシャ哲学の授業で学んだ“カオス(混沌/無秩序な状態)”という言葉が頭を過ぎりました。
“極貧の国”というレッテルを貼られていても、“物乞いや浮浪者が他の国よりも多いのだろう”ぐらいは想像していましたが、そんな生易しいことではないことが少しづつ分かってきます。
しばらくブラブラ歩いてみましたが、どこへ行っても同じ状態...。
おまけに、外国人の我々を良い鴨と思ったのか、後をぞろぞろついてくるではありませんか。
逃げるように車に乗り込みその場を離れましたが、今度は車が赤信号で止まるごとに同じような人たちが車にまつわりついて、窓をドンドン叩いたり、窓を開けていると車内に手をさしのべて物乞いをするのです。
車もなかなか前に進めない状態で、恐怖さえ感じました。
叔父夫婦の家では、久し振りの日本食・日本酒を心ゆくまで楽しみました。
気のおけない叔父夫婦のもてなしで、大国君などはすっかり気を許し、珍しく途中でダウン、鼾をかいて寝込んでしまうほどでした。
さて、船に戻る途中、ボンベイ湾沿いでマリンドライブの“女王の首飾り”と呼ばれるネオンが灯され、その美しさに見とれていた眼に、歩道に累々と横たわる何かが飛び込んできました。
目をこらしてよく見ると、人間がごろごろ寝ているのです。
運転手によると、ほぼ街全体がこうした状況であるという絶望的な話でした。
この光景はボンベイだけではなく、首都ニューデリー、カルカッタなど大都会にドンドン広がっているとのこと。
『なんでも見てやろう』の中でも、「目を背けたくても、行けども行けども尽きぬ感じに愕然とした」と表現されています。
しかしながら、半世紀後の現在、インターネットで調べても、インドに詳しい人たちに聞いても、そんな事実は浮かんできません。
あの人達は、その後どこへ行ったんだろう、どうなったんだろう、と想い馳せるこの頃です!!!
(注1)
『なんでも見てやろう』:10年程前に紛失し、がっかりしていましたが、最近になって文庫本になったものをネットで手に入れて、読み直しています。
私にとっては、今もバイブルであり続けています。
次回は、「第十九話 アフリカ大陸へ上陸 !」です。
【安 本 總 一】 現在 |