私と柔道、そしてフランス…
-「第十六話 トビウオやイルカと競争...」- 2018年4月26日
サイゴン川を下り、再び南シナ海に入って、一路シンガポールに向かいます。
3等船室の小さな船窓は海面すれすれの高さにあり、少々海が荒れると、波が窓にかかり外は全く見えなくなります。
ある穏やかな朝、その船窓から外を眺めていますと、無数のトビウオが海面すれすれのところを滑空しているのが見えました。それもかなりのスピードで。
この辺りで見られることは聞いていましたので、待ってましたとばかりデッキに出ます。
もうすでに大勢の人が集まっていて、なかなかお目にかかれない自然のショーを、歓声を上げて見物していました。
体長30~40センチぐらいのトビウオの大群が、よく見ると、海面すれすれを滑るように飛んでいるのもいれば、海面から1~2メートルの高さのところを100~200メートルぐらい一気にグライダーのように滑空するのもいます。
それらがみな、猛スピードで船を追い抜いて行くのです。とても感動的なシーンでした。
ところが、その直後にイルカの大群が現れました。船と競争していると思われたトビウオは、捕食者イルカの大群に追われて必死に逃げていたのです。
さて、船上での生活に慣れてくると、しばらく稽古ができなかった柔道のことが気になりだしました。
とは言っても、道場はありませんので相手を投げることはできません。
そこで、その場で、あるいは移動しながら、投げるまでの動作を繰り返し行う“打ち込み”稽古をデッキで始めることにしました。
金井さんにも声を掛けて毎日真剣に汗をかきました。
この打ち込みは乱取り(注1)/試合の前には必ず行うトレーニングで、何百回となく繰り返します。かなりきついトレーニングですが、体力・実戦感覚維持には最適なのです。
“日本人が3等デッキで妙なことを始めた”とでも伝わったのでしょうか、他の船室からも多くの観客が集まり、退屈凌ぎにもってこいの毎日のイベントになったようです。
中には、我々のトレーニングが終わると相撲で挑戦してくる人もいて、道場でのそれとは違う、和気藹々としたトレーニングではありました。
ところで、次の寄港地シンガポールは、マレー半島の先端に位置するという地理的優位性から、3世紀頃は海賊を生業としている人々が多く住んでいたそうです。
その後、周辺国・ヨーロッパ諸国(ポルトガル・オランダ・イギリス)からの侵略をしばしば受け、とくにイギリスの統治は約130年(1942年~1945年の日本による占領を除く)にわたりました。
1959年に自治権を獲得し、我々の船が横浜港を出航する直前の9月16日にマレーシア連邦に参加したばかりでした。
このシンガポールは整然とした美しい街並みが続いていて、アジアの町というよりも、その時はまだ見たこともなかった旧宗主国イギリスを想像させました。
イギリスの厳しい植民地政策から解放されて自治権を獲得した喜びとか、独立に向けての民衆の盛り上がりとかは全く感じられず、なぜかとても印象の薄い町ではありました。
夜は一人で町の柔道場を訪れました。この道場は伝統的に早大柔道部の先輩達が指導をしていた道場で、師範や先輩から、必ず行くように言われていたのです。
2時間ほどの指導・稽古の後、差し出されたサイン帳に、お世話になった昭和34年度の主将・坂元英郎先輩(注2)や、昭和36年度の主将・吉村剛太郎先輩(注3)の名前を発見して、世界で活躍する先輩方の存在を確認して、大変勇気づけられました。
その後、中華レストランでの食事会。ここでも、柔道を通して沢山の人たちと知り合い、改めて、民間外交に少しでも寄与できる機会を与えてくれた柔道に感謝しました。
(注1)
乱取り:互いに技を出し合って、相手を投げたり、投げられたり、自由に攻防する練習法のこと。自由練習とも言う。
(注2)
坂元英郎先輩:第六話で言及
(注3)
吉村剛太郎先輩:第七話で言及
次回は「第十七話 東西交通の要衝、マラッカ海峡」です。
【安 本 總 一】 現在 |