私と柔道、そしてフランス…
-「第十四話 船酔い、そして香港... 」- 2018年3月30日
最終目的地の南フランス・マルセイユ港を目指して、今では経験のできない一ヶ月にわたる船旅が始まりました。
ちなみに、このフランス籍MM汽船のヴェトナム号は、横浜からマルセイユまで約16,000 ㌔もの海路を航行し、その間、次の港に寄航していました:
【フランスへの海路】
英植民地・香港 を皮切りに、南ヴェトナム首都・サイゴン、マレーシア連邦・シンガポール、セイロン首都・コロンボ、インド・ボンベイ、仏領ソマリ首都・ジブチ、エジプト・スエズ /ポーサイド、バルセロナ(スペイン)に寄港し、各港で1、2泊します。
その後の半世紀のあいだに、これら寄港した国々で政権移譲、戦争、独立運動、政変などによって、国体/政体の変化が起り、香港は中華人民共和国特別行政区に、サイゴンはヴェトナム社会主義共和国ホーチミン市に、マレーシア連邦はシンガポール共和国に、セイロンはスリランカ民主社会主義共和国に、ボンベイはムンバイに、仏領ソマリはジブチ共和国に、エジプトはエジプト・アラブ共和国になりました。
さて、横浜の夜景が遠のき、東京湾を出るころは、船は星一つ見えない漆黒の闇の中を突き進んでいました。
「長年夢見たフランスへの旅立ちなのに、お先真っ暗だなー!」などと同行の大国伸夫君と冗談を交わしながら、しばらくの間、船上の生活、寄港地での散策に思いを馳せて、デッキにたたずんでおりました。
外海に出ると、当然のようにうねりが高くなり、大国君は夕食前から寝込んでしまいました。
私はなんとか食堂に行きましたが、食事の匂いをかいだ途端、強烈な船酔いに襲われました。
私の場合は、立っているときはそれほどでもなかったのですが、横になったり、食堂に行くと始まり、三日三晩ほとんど眠れず、飲まず食わずの状態でした。
柔道の稽古よりも辛い経験でした!
そんな中、デッキに出てみると、三等船室の日本人客全員が集まっていました。ドイツのケルンに柔道の指導に行くという日大柔道部出身の金井孝四さんをはじめ、画家の小島祥敬さん、それにお名前は忘れましたが、パリに留学する女性画家と若い修道女たちです。
皆さん船酔いでゲンナリしていました。
四日目の朝、船がようやく香港沖に到着すると、不思議なことに船酔いは消えていました。と同時に、猛烈な空腹感に襲われました。
取り敢えず腹ごしらえとばかり、快復した大国君、前述の金井さん、小島さんたちと共に、観光などはそっちのけで、最初に目にした中華料理屋に入って暴飲暴食したことは言うまでもありません。
【香港 ヴェトナム号】
【ヴィクトリア・ピークからヴィクトリア・ハーバーを望む】
【香港 貧民街の入り口】
我々にとっては最初の外国である香港は、アヘン戦争後の1842年にイギリスに永久割譲され、約150年後の1997年に中華人民共和国に返還されました。
したがって、我々が上陸した際はまだイギリスの植民地でした。
また、1941年~1945年は、日本統治下にありました。
中心街は、近代的な建物が整然と並んでいましたが、そこを一歩離れると、目を覆いたくなるような貧民街でした。こうした貧富の差は、随所で見られました。
また、イギリスの植民地ならイギリス人(ヨーロッパ人)の姿が多いのだろうと想像していましたが、意外に少ないのが、不思議に思われました。
そして、若い女性たちの自然で洗練されたストリート・ファッションにはとても感心させられました。
これも、約120年も前から宗主国として君臨しているイギリスの影響だったのでしょうか...。
次回は 「第十五話 戒厳令下のヴェトナム・サイゴンへ...」 です。
【安 本 總 一】 現在 |