私と柔道、そしてフランス… - 最終回 「日本ロレアル株式会社」設立  -

私と柔道、そしてフランス…
- 最終回 「日本ロレアル株式会社」設立 -


 1995年、ロレアルは筑波研究学園都市にフランス国外で唯一の基礎研究所を開設しました。

 翌年には 、化粧品およびヘアケア製品の研究開発業務を統合して、かながわサイエンスパークの研究施設を大幅に拡充しました。

 そんな時に、日本におけるロレアル・グループの総括責任者としてLoïc Armand (ロイック・アルマン)が赴任してきたのです。

 彼は、エリート校中のエリート校・ENA(国立行政学院)出身で、卒業とともに大蔵省会計監査局に入局。

 ロレアルに転職後は、ロレアル・ベルギーのコンシューマー事業部、ロレアル・メキシコのトップを歴任。

 当時、44歳で、ロレアル・グループの中では唯一のファッション・メーカーであるLANVIN(ランヴァン)の社長を務めていた大物中の大物です。

 これらの動きから、ロレアルは「関連企業を統合して独立しようとしている」と誰の眼にも明らかになっていたに違いありません。

 コーセーの小林社長は人一倍敏感にそれを察知して、強引なロレアルがコーセー本体に手をつけることを恐れていたはずです。

 相手は、途方もない財力をもって、数々のM&A(企業間の合併・買収)を繰り返して巨大になったロレアルですから、それも当然でした。 

 すでに20年も前、1977年の国際会議の夕食会で、たまたま、ダル社長とベタンクール取締役(注1)のテーブルについた私に、初めて会うベタンクール取締役 から色々な質問が飛び出しました。

 その一つに「なぜコーセーを買収しないのか?」がありました。突然で答えに詰まる私に代わってダル社長が「検討はしているが、コーセーは非上場企業なので、現在は難しい」と答えてくれたことを思い出します。

 ロイック・アルマンが赴任して間もなくの1996年の春だったと思いますが、コーセー小林社長との会議から戻ったデイヴィッド・アシュレーに呼ばれました。

 ロイック・アルマンとともに、彼は“ロレアルの独立”について小林社長と話し合ってきたのです。

 彼は「話が思いのほかスムースに進んだので驚いたよ。

 小林社長は覚悟していたと見え、日本に於けるすべてのロレアル関連企業が設立予定の日本ロレアル㈱へ統合されることに、簡単に合意してくれた。

 もちろん、ロレアル側からは、コーセーがロレアル発展に貢献したことを高く評価して、破格の条件を提示したからね。とても喜んでもらった」と 満面に笑みを浮かべていました。 

 こうして、1996年7月1日に「日本ロレアル株式会社」が設立されたのです。

日本ロレアル発足 合同記者説明会
【日本ロレアル発足 合同記者説明会】
右から、コーセー小林社長・アルマン・アシュレー
 新会社の概要は:
 
・代表取締役会長:デイヴィッド・アシュレー 
・代表取締役社長:ロイック・アルマン
・株主構成;ロレアル S.A.(フランス) 98% / 株式会社 コーセー 2%
・事業部:
コンシューマー・プロダクツ事業本部 : ロレコス(旧コーセーコスメタリーを含む)が移行
プロフェショナル・プロダクツ事業本部 : コスメフランス/コーセー・ロレアル事業部/アレクサンドル・ドゥ・パリ(注2)が移行
ラグジュアリ・プロダクツ事業本部 : ランコム/ヘレナ・ルビンスタインが移行

 忘れてはならないのは、旧コーセーコスメタリー/コーセー・ロレアル事業部に約230名のコーセー社員が在職していましたが、ほぼ全員が日本ロレアルに転籍したことです。

 私自身はと言いますと、木村睦本部長の補佐役として、本部長室室長に任命されました。

 彼はコーセー・ロレアル事業部部長から日本ロレアル副社長兼プロフェショナル事業本部長にスライドした、コーセー生え抜きの人物です。

  私は、100%日本企業のコーセーから独特の雰囲気のあるフランス系企業に突然放り込まれることになった木村本部長を初め、旧コーセー社員の戸惑いに気を配りながら、楽しく仕事ができる雰囲気作りに努力し、あらゆる面でアシュレー会長、アルマン社長、及びパリ本社との調整役を務めました。

 しばらくすると、「設立されたばかりの会社なのに社員に高齢者が多い」という フランス人幹部の声が聞こえてきました。

 ロレアルとコーセーが提携したのが35年ほど前ですから、当然といえば当然ですが。

 そこで、人事が提案したのが50歳以上の社員を対象にした「早期退職優遇制度」でした。

 その時、すでに57歳を越えていた私は、アシュレー新会長と相談して応募することにしました。

 そして、退社を決断した直後、アルマン社長から、退職後、社長付顧問としてアドヴァイスを続けて欲しいとの要請があり、喜んで承諾しました。  

 こうして22年間お世話になったロレアルを1998年3月に退職しました。

 社長付顧問役は、その後一年間続けました。

 因みに、コーセーは、2000年12月に東京証券取引所市場第一部に上場されました。

 また、日本ロレアルの社員数は、1100名を数えるまでになっていました。

 さて、当初はこのエッセーは、イギリスでの柔道指導を終えて帰国するあたり(第四十三話)で完結させる心算でしたが、周りの奨めで今日まで続けてきてしまいました。

 ロレアル退社後現在までの経験をさらに語るとなると、またかなりの日数が必要となるでしょう。

 このあたりで一旦閉めることにいたします。

  長い間ご愛読いただき、ありがとうございました。

  最後に、これまで毎回文章をチェックして下さった翻訳家・田中千春さんに心からお礼を申し上げます。

(注1)
ベタンクール取締役:ロレアルの創設者・シュエレールの娘婿

(注2)
アレクサンドル・ド・パリ:1992年に日本で誕生した美容室流通で唯一の高級化粧品

筆者近影

【安 本 總 一】
現在