私と柔道、そしてフランス…
- 第八十話 特殊な世界 「美容業界」(その二) -
美容業界未経験の私のために、コーセー・ロレアル事業部もレクチャーを何回も開いてくれ、かなりのスピードで斯界の状況を掴むことができるようになりました。
その中で、日本独特の流通システムには大変驚かされました。
欧米では、ロレアルは自社の営業マンが直接美容室に売り込む「直接販売(直販)システム」を施行しています。
日本では、美容室がメーカーから直接購入することはなく、卸問屋 を介して調達するのが一般でした。
それは現在でもあまり変っていないようです。
このシステムは、元々日本の地形とコストパーフォーマンス(費用対効果)から生まれた慣習のようですが、その後、卸問屋の力が強くなるとともに、その既得権ができ上がっていました。
また、メーカーとしても敢えて直接美容室と取引せず、卸問屋に任せていたのは、それだけ、卸問屋の力を評価していたのです。
理由は、卸問屋が商材の安定供給、美容室のスタッフの技術や接客の教育、美容室経営のアドバイスなどを懇切丁寧に行なっていたからでしょう。
さらに、卸問屋はメーカー別に系列化されていました。
メーカーは契約している卸問屋が他のメーカーを扱うことを禁じていたのです。さすがに、最近はこの慣習はかなり曖昧になっているようです。
コーセーも卸問屋と深い信頼関係で結ばれていました。一般の呼称である“ディーラー”ではなく、“エージェント(代理店)”と呼んでいるほどでした。そのコーセーに対して、ロレアル本社は直販に移行するように強く圧力をかけますが、コーセーは頑として聞き入れませんでした。
こういう状況の中でも、コーセー・ロレアル事業部は独自の教育方法で勉強熱心な美容師を支え、これを「教育産業」と呼んでいました。
これこそがロレアル成功の第一要因だったのでしょう。
ロレアル/コーセー提携以前から、日本の美容師は“美容とファッションはフランス/パリから”の意識が強かったようで、ロレアルが教育の一環としてフランスから有名美容師を招いて開くヘア・ショーには、驚くほど多くの美容師が集まったものです。
圧巻だったのは、世界の美容界の帝王「アレクサンドル・ ドゥ・パリ」によるヘア・ショーです。
オートクチュールの衣装をふんだんに使ったこのイヴェントには、東京と大阪それぞれの会場に1500人以上の美容師が詰めかけました。
アレクサンドルもノリに乗って、予定時間を大幅に超え、20人以上のモデルの髪を衣装に合わせて作り上げます。
素晴しいフィナーレに感動しながらロレアルにいることを誇りに思ったのがまるで昨日のことのようです。
【アレクサンドル・ドゥ・パリ】 | 【アレクサンドル・ドゥ・パリを迎えて】 |
日本の美容師のフランス/パリに対する思いを如実に表わしたのが、1997年2月3日、パリのカルーゼル・ドュ・ルーヴルで開催された「ヘアスタイリスト協会(注1) 20周年記念 1997年ニュー・ヘア・モード発表会&東京・パリ -ヘアコレクション」です。
前年の7月頃、当会の創立者・井上陽平会長から連絡がありました。
「メーカーやエージェントが、それまで不可侵とされていたヘア・モード創作にまで手を出してきているが、何とかそのような風潮をヘア・モード創作団体に取り戻したい。
また、日本の美容師の実力を欧米に示したい。ついては、当会20周年を記念して、ニュー・ヘア・モード発表会をパリで開催したい。準備に協力して欲しい」というものでした。
それから約半年間、井上会長のアシスタントになったような形でお手伝いしました。
もちろん、ロレアル本社、及び会長と親しい在仏日本人美容師の協力も仰いだことは言うまでもありません。
美容師20名、オートクチュール衣装をまとったモデル69名を駆使するショーの成功の鍵を握るのは演出家です。
私は、前述のアレクサンドルのショーを担当したベルナール・トゥリュックスを推薦しました。
開会に当たり、関係者が一番心配したのは、どれだけの観客が集まるかでした。しかし、それは杞憂に終りました。
日本から遠路一万キロ、極寒のパリに、何と450名以上が駆けつけたのです。やはり、フランス/パリの魅力が大きく作用したのでしょう。
さらに、国際美容連盟会長を初め、アレクサンドルなどのフランス人招待客120名を加え、会場は立ち見も出るほどの盛況でした。
ショーは大成功に終わり、夜の食事会でもブラヴォーの声が絶えませんでした。
(注1)
ヘアスタイリスト協会:美容室に直結したヘア・スタイルを提唱し、若い美容師の活動の場所とチャンスを作っている。
次回は -最終回 「日本ロレアル株式会社」設立- です。
【安 本 總 一】 現在 |