私と柔道、そしてフランス…
- 第七十一話 新製品開発の難しさ -
さて、話をビジネスに戻しますと、1977年1月末、山陽スコットとの契約破棄交渉が二日間に亘って行われました。
相当こじれると予想していたこの交渉が意外にスムースに進み、ロレアルがスコットの要求を全面的に受け入れて合意に達しました。
その結果、すべてをコーセーに任せることになりました。
この間、フランスのロレアルの幹部から反省の声が少しも聞こえてこなかったことから、私は当初、ロレアルの譲歩は「金持ち喧嘩せず!」的なものではないか、と疑いました。
そして、コーセーと築いてきた信頼関係をないがしろにするようなことを繰り返すのでは、という不安を抱きました。
しかし、それは杞憂でした。数ヵ月後、「パブリック製品事業部」の国際会議がパリ本社で開催され、山陽スコットとの交渉の全面に立ったジャン・レヴィー副社長兼事業部長が開会の挨拶をしたのですが、その冒頭で、数百人の出席者を前にして「我々は、日本でミスを犯しました!」と述べたのです。
詳しくは記憶していませんが、「日本側の意見をもっと聞くべきだった」との趣旨でした。
会議後の親睦パーティーで顔を合わすと、彼はウインクして「聞いたか?!」と言い、ニコッと微笑みました。
非を認めるその率直さに感激すると共に、この経営陣の存在こそがロレアルを世界一の企業に成長させたのだと、納得したものです。
そんな中、1977年の初夏にようやく待望の「エルセーヴ・バルサム・シャンプー / リンス」が発売されました。
私などは、欧米で大成功している「エルセーヴ」なのだから、そのまま日本で発売するものと軽く考えていましたが、日本人のモデルを使ってテストを繰り返してきたフランス本社とコーセーの製品テストが出した共通の結論は、最初から処方の組み直しをしなければならない、というものでした。
その原因は、欧米人と日本人の正反対ともいえる髪質の違いにありました:
*日本人の髪: | 太くて、ハリ・コシがある。シャンプーの頻度が高く、 乾燥毛になりやすく、ヴォリュームが出過ぎる。 |
*欧米人の髪: | 細くて、ハリ・コシがない。柔らかく、ボリュームを出しにくい。 いわゆる“猫ッ毛”。 |
リンスが欠かせないことにもつながります。
一方、欧米人は、汚れを落とし、油分も落とし、乾燥後に髪のヴォリュームを増やす効果がある製品を求めます。
従って、各メーカーは、電子顕微鏡などを駆使して、製品ごとの有効成分(注1)の発明に精力を傾注します。それが、製品の成功を左右するからです。
しかしながら、当時の日本で新製品を発売する際、厳しい規制がありました。非関税障壁として国際的に非難されていたものです。
それは、使用可能な成分をリストアップして、そのリスト以外の成分を使うことを罰則付きで禁じる規制です。
このリストを「ポジティヴ・リスト(配合可能成分リスト)」と呼んでいました。
さらに、発売する製品の“処方”を必ず「厚生省」に登録せねばなりません。
また、新しい成分がリストに登録されてない場合は、その無毒(害)性を証明するデータを何年もかけて作成し、提出しなければならず、それでも、許可されることが稀だったようです。
日本には神奈川サイエンスパークにロレアルの研究所があります。
その初代所長を務めたロジェ・モンティニー技師とは現在も親しくしていますが、彼は、在日15年間に三つの成分しか許可されなかった、とその厳しさを思い出して改めて驚いていました。
フランスには、「保険省」が定める有毒(害)性のある成分をリストアップした「ネガティヴ・リスト(配合禁止・制限成分リスト)」があって、このリストにある成分を使用していなければ、自主責任で自由に発売できます。
また、新しい成分を使用する場合でも、無毒(害)性のデータを保存しておけば、いつでも使用可能で、素早い新製品の発売を可能にします。
このほかにも数々の規制があり、新製品の開発の難しさを身をもって経験しました。
その後、とくに外資系の化粧品会社・製薬会社がこぞって陳情し圧力をかけた結果、日本も「ポジティヴ・リスト」から「ネガティヴ・リスト」へ移行しましたが、この規制緩和が行われたのは、1998年の頃でした。
(注1)
有効成分:効果・効能に対して寄与する成分
次回は「第七十二話 コーセーの対応」です。
【安 本 總 一】 現在 |