私と柔道、そしてフランス…
- 第六十三話 研修で学んだこと-
ロレアル社の中心となる化粧品事業は、主に下記の3部門で構成されていました:
この「パブリック製品部門」で一ヶ月間の研修を受けました。
頭髪化粧品、香粧品、サンタン化粧品などを、化粧品店、薬局、デパート、大衆デパート、スーパーマーケット、ハイパーマーケットなどで展開している部門です。
1963年以来のフランス滞在中、あちこちで大量陳列されているロレアルの製品が目に入らない訳はなく、シャンプーはいつの間にかロレアルの“エルセーヴ(ELSEVE)”を使っていました。現在も引き続き使っています。
もちろん、そのころはこれらの製品に日本で係わるようになるとは、夢にも思いませんでした。
この研修で学んだ最も重要なことは、「マーケティング」と「営業」の違いでした。
この時代、日本の多くの企業は、営業(部)が中心で、マーケティングの仕事も営業が担っている場合が多く見られました。
日本電子時代には、「マーケティング」という言葉さえついぞ聞かれたことはなく、「企画」という言葉が使われていたようです。
欧米の企業では、「マーケティング」が企業の要でした。そのためか、私の研修も3週間は、フランス国内事業部のマーケティング部で、プロダクト・マネージャーのお手伝いのような形で行われました。
研修の初日、マーケティング部長に「マーケティング」と「営業」の最も大きな違いは?と聞いたところ、即座に明快な答えが返ってきました。
「対象」が違う。営業は「お客様」、マーケティングは「市場」だと。
私がまず注目したのは、ロレアルの生命線ともいえるこのマーケティング部の規模が非常に小さかったことです。
頭髪化粧品、香粧品、サンタン化粧品などの担当マネージャーのもとで研修を行ないましたが、他の製品を担当するマネージャー数名と秘書を加えても、ほんの十数人に過ぎない小さなチームでした。
当時の日本人の間では、「フランス人は働かない!」などと揶揄されていましたが、とんでもない!
この少人数で、世界中のプロダクト・マネージメントの基礎を築くのですから、可哀想なくらいよく働く人たちでした!
少人数でやりくりするのを可能にしているのは、外部の業者を上手に使うことでした。
製品そのものは世界有数のロレアル研究所が作り出しますが、容器のデザイン・広告などは外部の業者に依頼するのです。
最後の一週間は営業部で過しました。
まず、30歳のイギリス人、オーエンジョンズ営業部長に面会し激励を受けました。
その後、1988年に42歳でロレアルの社長に就任し、世界的な大富豪になる人です。
営業部には、部長の外に、流通別(量販店、及び小売店)の責任者がいるだけで、実際にお客様を訪問して注文を取るセールスマンは会社には席がありません!
自宅から直接客先に出向き、出先から直接帰宅するのです。
翌日から、これらセールスマンに同行して、小売店でのセールスの模様を見学する予定でしたので、どこで彼らと落ち合えばよいのかを尋ねると、「彼らの住まいに最も近い郵便局の局留め係の前で」との指示がありました。
その理由は、局留めには各セールスマン宛に、その日訪問する客先との取引状況、及びその日の受注目標が記載された電報が入っていて、それをもって客先を訪問するのです。
4日間続けて、4人の日替わりセールスマンとパリ市内の化粧品店・薬局などを訪問しました。
その間、製品についての知識、セールス・テクニック、彼らの苦労話をゆっくり聞くことができました。
改めて認識したのは、フランスでは当時の日本と違って終身雇用は少なく、出会った会社員のほとんどがそれまでに2、3の会社を経験していることでした。
さらに、職種を変えること(例えば、営業からマーケティングに移ること)は難しく、例えば、セールスマンは一生セールスマンで終わることが、当たり前のように定着していました。
階級社会の厳しさに、身につまされたものでした。
次回は「第六十四話 フランス企業の社員として日本へ」です。
【安 本 總 一】 現在 |