私と柔道、そしてフランス…
「- 第五十七話 仏文学者・井上究一郎教授が見たジュイ・アン・ジョザス-」
転居先のジュイ・アン・ジョザス(Jouy-en-Josas)村は、パリ南端から南西に直線距離で約12㌔。パリの真西ルエイユ・マルメゾン(Rueil Malmaison)にあるジェオルへはパリを通らずに、毎朝毎晩、ヴェルサイユ(Versailles)宮殿の前を通る快適なドライブ通勤です。渋滞など一切ありません。
しばらくして、私を日本電子に導いてくれた恩人の富永雅之さんから連絡がありました。当時、彼は日本電子のイタリア現地法人の責任者でした。彼が東京外語仏文科の学生時代に教えを乞うた井上究一郎先生(注1)を紹介するので、先生の希望を聞いてあげて欲しいというのです。
先生は、研究されていた文豪ヴィクトール・ユゴー(Victor HUGO)が、愛人ジュリエット・ドルエ(Juliette DROUET) と暮らしながら『オランピオの悲しみ』(注2)を著述したジュイ・アン・ジョザス村に強い関心があり、1958年から何度か訪れた後、しばらく行っていないので、当村の今の様子が知りたいとのことでした。
そんなことから、私からは当村各所の写真などを送り、先生からは興味深いメモを写真の裏に記したものを送ってもらったりしました。
これらの写真やメモから、ジュイ・アン・ジョザスの雰囲気、ユゴーとジュリエットの睦ましい暮らしぶりなどを想像していただければと思います。臨場感抜群です:
*駅から眺めたジュイ村 : 文中、“ジブーレ(霧氷)が降っていた氷りつくような寒い春の日”とありますが、昔のヨーロッパは、11月から4月までは、このような厳しい天候が続いたものです。お日様が恋しい日々でした:
*「ユゴーの家」周辺と「記念碑」 : 「記念碑」には、『オランピオの悲しみ』の一片が記載されています。
*「ヴィクトール・ユゴーの家」 : 我々が住んでいた一角から、600㍍ほどのところにあり、そのひっそりとした佇まいに、 “誰にも邪魔されたくない”二人の気持ちがこもっているような雰囲気が漂っていました。
【「ヴィクトル・ユゴーの家」】
*レ・ロッシュ(Les Roches)の館 : ジュイ・アン・ジョザス村とビエーヴル村との境目にあって、ユゴーの文人社交界への登場につながった館。
【レ・ロッシュの館】
「レ・ロッシュの館」について
*レストラン・レキュ・ド・フランス「L'Ecu de France」 : レストランの外に、ビリヤードやダンス・ホールもあり、ジュイ・アン・ジョザス唯一の社交場だったようです。
【ジュリエットと通ったレストラン「l'Ecu de France」】
(注1)
井上究一郎 : マルセル・プルースト研究の第一人者であり、『失われた時を求めて』(ちくま文庫1974年)の個人全訳で知られる。また、ユゴーの『レ・ ミゼラブル』の名訳も有名。1970年、東大教授定年退官後、武蔵大学教授。1999年歿。
(注2)
『オランピオの悲しみ』 : ジュリエットとの恋をうたった「ロマン主義詩編の最高傑作」といわれている。
次回は「第五十八話 風戸健二社長のこと...」です。
【安 本 總 一】 現在 |