私と柔道、そしてフランス…
「- 第五十二話 また、新しい展開が...-」
これまで、当時の市場性から透過型電子顕微鏡を中心にお話してきましたが、1966年に発売されたばかりの走査型電子顕微鏡はそれ以上の将来性を期待されていましたので、これも必死に紹介して回りました。
トゥルーズの宇宙・航空関連機関/企業、ピレネー山脈の真っ只中、海抜1750㍍にあるCNRSの太陽エネルギー研究所、著名な海洋学者のジャック=イヴ・クストー氏が館長を務めるモナコ海洋博物館などなど。
まだこの機械を知らない研究者も多かった当時、説明を始めると、並々ならぬ興味が手に取るように感じられるのを経験して、この機械の将来性を確信したものです。
ただ、モンペリエ在任中は、この機械の受注はありませんでした。
また、苦い思いも経験しました。
アヴィニヨンの北30キロにある原子力庁の研究所の一つで、透過型電子顕微鏡の購入計画があるという情報を得て、訪問することにしました。
といっても、この研究所はかなり機密性の高い軍事研究を行っているため、部外者の入所は厳しく制限されていました。先ず、ジェオル(JEOL)についての調査がおこなわれましたが、これは、ジェオルの機械が原子力庁の多くの研究所にすでに納入されているため、全く問題なし。
私個人の身元調査でもOKが出て、入所許可が下りました。
私を迎えてくれた若い担当研究員は柔道の黒帯で、私の名前と私の「餃子耳(注1)」を見て、その当時、フランス柔道連盟の招聘でマルセイユで柔道指導をしていた同志社大学柔道部出身の「安元豊(注2)」君と混同したようで、「有名なYASUMOTO先生に、お会い出来て光栄です」と感激しっぱなしで、誤解を解くのにかなりの時間を必要としました。
こんなことから、親しくなり、何回か訪問するうちに機種は日本電子製に決めてくれました。
ところが、その後間もなく、私がニースに出張中に、自宅・事務所に彼から電話があり、「注文をジェオルに出そうと手続を始めたところ、本庁から横槍が入り、性能では大きく劣るが、フランス製ということで、O社に注文せざるを得なかった」旨の伝言がありました。
理由は、研究内容が「極秘」に当り、「機械の設置・保守を外国企業に任せる訳には行かない」でした。
そんなことは、最初から分かっていたことですが。
仕事以外でも、数々の想い出があります。
戦時中の疎開は除き、首都以外で暮したのはモンペリエが初めてでした。
普段は、営業活動で右往左往していましたが、それでも少しづつこの地方の風土・生活リズム・食生活・伝統などなどに魅せられていきました。
毎朝、250年前の水道橋の下で始まる南仏伝統の球技ペタンク(注3)。私の目覚まし時計にもなった、両手に持ったステンレス製のボールを時々打ち合わせる時に出るカチン、カチンという音。
また、親しくなった土地の人に招待されると、アルジェリア戦争を機に帰仏したフランス人、戦後移民してきた多くの北アフリカの人々が住むこの地方では、子羊を丸焼きにする「メシュイ(méchoui)」で歓迎してくれます。
そして当然のように、灰色(グリ=gris)ワイン、リステル・グリ・ドゥ・グリ(Listel gris de gris)が振舞われます。
それまで、ワインには赤(rouge)と白(blanc)、その中間のロゼ(rosé)の三種類しかないと思っていましたが、灰色(gris)が存在することを知って驚いたものです。
モンペリエの近郊・カマルグの砂地で育った葡萄で造られる超(!)爽やかなワイン。
今でも、パリでは手に入れにくいワインです。
そうこうしている内に、1969年2月、日本から実妹・年子(注4)がやってきました。
ただ、人一倍活動的な妹は学校以外何もない田舎の町には我慢ができず、パリで勉強を続けるために、3ヶ月ほどでパリに向けて旅立って行きました。
それ以来、妹は半世紀に亘ってフランスに留まり、今でもパリで活躍しています。
同じく50年前の7月20日午後10時頃から、アポロ11号の月面着陸の実況放送をを、妻と共にバルコニーで薄暗い空に浮かぶ月を眺めながら、ラジオで聞きました。
歴史的な出来事に関わっているような気分でした。
そして、10月12日、待望の長女・美代子を授かりました。
ということは、彼女はまもなく50歳を迎えます。 信じられません!
1970年初頭だったと思いますが、パリ本部の竹内支配人がモンペリエに来るという連絡がありました。
ただ単なる視察と考え、それなりの準備を整えて迎えましたが、いざ到着しての第一声は「安本君、できるだけ早くパリに戻ってきてくれ!」でした。
着任以来、一年を少々越えたばかりの時にです。
これまでの営業部長が退職するからだという。
モンペリエには私の代わりに、「フランス人のアフタサーヴィス担当を置いて、お客様には迷惑を掛けないようにするので、できるだけ早く!」を繰り返されるのみ。私を説得することだけが目的の訪問だったようです。
日本電子(株)に入社するきっかけを作ってくれた人でもあり、「ノー」と言っても聞かないことを良く知っていましたので、数日考えた末、パリに戻る決心をしました。
モンペリエ在任中に、大型電子顕微鏡を4台、NMRを1台受注した実績を持ってパリに戻りました。
(注1)
餃子耳:「カリフラワー耳」とも言い、稽古中に耳が畳・柔道着の奥襟などに擦れて出血し、血腫が凝固した状態をいう。相撲・ボクシング・ラグビーなどでも起る。
(注2)
安元豊:その後「日立造船(株) 代表取締役副社長」
(注3)
ペタンク:目標球にステンレス製のボールを投げ合って、相手より近づけることで得点を競うスポーツ。
(注4)
安本年子:現在、フランスでの生活を楽しく豊かにする「マロニエの会」会長。 2018年度外務大臣表彰(個人)。
次回は「第五十三話 パリでの仕事は...」です。
【安 本 總 一】 現在 |