私と柔道、そしてフランス…
- 第五十一話 NMR(核磁気共鳴装置)などの営業活動- 2019年8月29日
日本電子の主力製品の一角を占めているNMRは、物質の分子構造を原子(物質を形づくっている最も小さい粒)レベルで解析するための装置で、ビタミン・医薬品・合成樹脂・合成繊維・香料・染料などの研究に今でも広く使われています。
1969年時点で、私の担当地域にはジェオルのNMRを使っているところはありませんでしたが、パリ本部で私がNMRを担当していた時に、南仏グラース(Grasse)のある著名な香料会社が資料を請求していました。
そこで、その香料会社を訪れてみることにしました。
ここまで書いて、突然、去る4月30日にベイルートで亡くなった富賀見先輩を思い出しました。
1964年夏、南仏ボーヴァロンでの柔道国際合宿に参加するため、大国君の車で南下する際、富賀見先輩の提案で、一般道を使ってフランスの田舎を楽しもうということになりました。
グルノーブルからは、標高が高く、景色の移り変わりの激しい“ナポレオン街道”をひた走りに走りました。
そして、カンヌの約15キロ手前、真下の中腹に街並が広がり、遠くにコートダジュールを望む、海抜1000メートルほどの峠に差し掛かると、先輩が「外へ出て深呼吸をしてごらん!」とおっしゃいます。
外に出ると、深呼吸をするまでもなく、下の方から芳しい香りが爽やかな風に乗って舞い上がってくるのが感じられました。
先輩は「この下の街が“香水の聖地”と呼ばれる、グラースという街だよ!この街で柔道の講習会を開いたこともある!」と懐かしそうに話されたのを思い出します。
この地で香水・香料が主要産業になったのは18世紀後半で、それまでは皮革産業がここの主要産業でした。
この産業には、必ず「革なめし」が伴い、この革なめしの際に出る悪臭をマスキング(包み隠す)するために、香水が用いられるようになったのです。
そのための香料が大量に必要になった上、一般的にも香水の爆発的な普及で香料・香水の需要が高まりました。
一方、革製品の税金が高騰したために、この街の皮革産業はスペインに移り、香水・香料産業だけが残ったというわけです。
“シャネルNo.5”もここで誕生しました。
件の香料会社の研究所を訪れると、ここにはすでにライヴァル会社“バリアン”の大型機が活躍していて、2機目の導入を計画していることも分かりました。
“バリアン”に満足している研究所に、他メーカーのNMR導入の意思はまったくないと判断し、あきらめましたが、それでも何回か出入りするうちに、耳寄りの情報を得ました。
グラースにある中小の香料・香水会社が組合を結成していて、この組合が、ニース大学理学部の有機化学研究室に費用の張る研究などは委託しているというのです。
しかも、この研究室が当組合の予算でNMRの購入を計画しているとのことなのです。
もちろん、ただちに飛んで行きました。
この情報は正確でした。定石通り、試料をいくつか預かり、ジェオル・パリ本部に送りました。
ジェオル・NMRによる測定結果に担当教授はいたく感心し、機種選定では問題なく日本電子製品に決めました。
ただ、やっとここまで持ってこられたのに、予算が不十分でした。
仕方がなく、パリ本部にあるデモ機を予算額でオファーしたところ、話はすぐにまとまりました。苦手だったNMRの受注第一号です。
次回は「第五十二話 また、新しい展開が...」です。
【安 本 總 一】 現在 |