愚息の独り言 第49話 「七転八倒」


愚息の独り言 第49話「七転八倒」」

2022年5月10日


高校時代に話をさかのぼりますが、 相変わらず地下鉄の入口、雑誌anan、nonno 等に、『フランス語教えます』の無料広告を載せ 父も母もフランス、どこの馬の骨か分からない少年は必死の思いでした。

学校でも小学部の生徒の父兄などに”3カ月前にフランスから帰って来ました”、”半年前に帰国しました” と言ってフランス語の生徒の勧誘をしました。

そんな中で最初の生徒さんが安藤さんと言う女性でブロードウェイ・ミュージカル『Hair』に出ていた方でした。彼女に日本で最初のガールフレンドも紹介されました。

そんなある日、我が高校の修学旅行、九州だと思いますが。私は参加せず。勝手に一人で九州一周。

途中大阪万博に立ち寄りフランス館に。

フランス館長に会わせてくれとお願いし、何か仕事を下さいとお願いした。

勿論どこの馬の骨か解らない高校生に仕事などまわしてくれるはずはない。

デパート、ホテル色んな所で仕事を下さいと・・・お願いして廻った。

高校生のガキを採用してくれるところは有りません。ましてや帰国子女を。

しかしフランス館で江部さんと言う非常に美しいフランス在住の女性と知り合いました。

フランス館で館長のアシスタントをされていたように記憶しています。

3年後に江部さんの妹さんに呼びかけて頂き、カナダの13歳の少年が日本に来ると。

その通訳兼ロードマネージャーをお願いされる。

無骨者の武道家庭、音楽には無縁。

日本側はレコード原盤制作会社。後日本でも最大級のレコード会社も立ち上げられました。

何とその会社の社長さんは我が母校の先輩(高校)。しかも大学から当時有名だったタイガース等に作曲され。

ユーミン、YMOなど多くのミュージシャンを輩出した。業界でも新しい旋風を巻き起こした会社です。

社長さんはまだ20代? 30代?と若く、運転手付きのグレイ?白い?ベンツに乗って居た。

最初のギャラ交渉で、僕はギャラは要らないから社長の家で生活させてほしいとお願いするがそれは断られる。

しかし高額のギャラを頂く。

そしてカナダ13歳の少年ルネ・シマールを飛行場に迎えに行く。その彼は東京音楽祭に出演するために社長の作曲「ミドリ色の屋根」を引っ提げての来日。

ワクワクする中で初対面。

ワ~!参った!カナダのズーズー弁は僕には通じない。

しかも一般の会話のボキャブラリがフランスとは違う! (後にニューヨークに行った時タクシーに乗ったが、運転手が黒人で僕の英語が通じないその境地)

アー!参った!

色々テレビ局、雑誌社廻り、テレビの場合:音合わせ、カメラ・リハーサル、ランスルーと本番前に多くの場面で歌うが、この少年はどのリハーサルでも全力で歌う、大人には出ない美しい声で。

その度に競争相手の他の出演歌手から拍手喝采。

どえらい仕事を頂いた。勿論彼は東京音楽祭グランプリ-。フランクシナトラ賞トップを総なめ。

僕は凄い体験をさせて頂いた。

13歳の坊やなので、コンサートの時などもインタビューなども「ヨヨ(道上のあだ名)適当に答えておいて!」とくる。

自分自身がそんなに機転の利く男では無いので会社の方に大変御迷惑をかけた。

コンサート会場で「ルネ君はガールフレンドは何人居るの?」の問いに(えーと、えーと)

僕は勝手に「この会場の皆さんは全員ガールフレンドです!」等と適当に。

ただ大掛かりの記者会見の席上で記者の質問を上手く訳出来ず記者を怒らせてしまった事が有る。

その時社長様にお叱りを頂き、もっと日本語を勉強するようにと、森鴎外や島崎藤村を読むようにと言われたが、そのレベルには達していなかった。

新聞ですら、スポーツ欄しか読めない自分。大変ご迷惑を掛けました。

こんなことの繰り返しで、大学在学中(25歳)に現在の会社を立ち上げ今日に至っております。

この場をお借りして村井邦彦様には心より感謝しています。

大変お世話に成りました。有難う御座います。

【 道上 雄峰 】
幼年時代フランス・ボルドーで育つ。当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。