改訂版 新・スラム街の少女 ―灼熱の思いは野に消えて― 第三十二話 「第11章 ビッグベアの涙 2」

愛は国境を越えてやってきた。

不思議な力を持つスラム街の少女プンとともに、 日本人駐在員は愛と友情をかけて、 マフィアと闘う。

女剣士・小夏 ―ポルポト財団の略奪―

翌日も灼熱の太陽が燃えるタイの空はどこまでも青く深かった。

プラモートに土曜の午後出勤を依頼し、ニンのアパートに迎えに来てもらった。

午後2時30分にスラム街でビッグベアとプンをピックアップしてナウタニに向かった。

ビッグベアとプンはもちろん昨日と同じ格好をしている。二人にとっては、最高のお洒落だ。

車内は、不安と期待であふれていた。

車はナウタニゴルフ場の近辺に差し掛かった。

瀟洒な洋館が立ち並んでいる。中でも一際大きな洋館で護衛が門にいたので陸軍将軍閣下の家は、すぐにわかった。

護衛にニンの一行が訪問することが伝えられていたのだろう、屋敷内の駐車場に案内される。駐車場にはベンツが2台とボルボ1台トヨタのレクサスが1台が停められていた。

ニン一行は護衛に手入れされた芝生の庭を通って屋敷の玄関に案内された。

玄関の前にサパロットとチャイキットが待っていた。サパロットはにこにこ笑ってプンに手を振った。

「さあどうぞ、中に入ってください」チャイキットは皆に言った。 

玄関を入ると左側がダイニングキッチン、右側がリビング兼応接室となっている。ダイニングとリビングは仕切りがなく、ただでさえ広い空間が一層広く感じられる。

リビングには10人用の応接セットが2セットと15~6人用の応接セットが1セットあり、 奥の応接セットに、4人の男が座っていた。

一番奥の応接セットに座っていた4人が立ちあがって俺達を迎えた。チャイキットが4人を紹介した。

「主人のウイナー、長男ビーンズと次男スチュワートと弁護士のウイワットさんです」

続いてニンが皆を紹介する。

「こちらがお父さんのビッグベア、サパロットの幼馴染のプン、そしてプンのお友達の木村さん、わたしがニンです」

「さあ、おすわり下さい」ウイナーは皆に座るように薦めて自らも座った。 

「陸軍将軍閣下、お目にかかれて光栄です」眼光鋭いウイナーにニンはそういうと皆を座らせた。

メイドがアイスティーを配り終えると、ウイナーが話し始めた。

「皆さんには死んだ娘の事から話した方が良いでしょう。

末娘のマナーウは生まれた時からの病弱だったのです。小学校の入学時の検査で腎臓が悪いのがわかりました。

腎不全でいろいろな透析療法を行いましたが改善されませんでした。

そんな時、腎臓移植が有効だと部下から聞いたのです。部下はそれ専門の医療チームと腎臓提供者を用意できると言いました。

それで部下に一切を任せる形になりました。藁をも掴む思いでした。

その時、わが子かわいさのために金に糸目をつけない、生きた子供の腎臓が欲しいと言ってしまいました。

マナーウの容態が悪化してきたので腎臓手術を早くできるようわたしは部下を急がせました。

翌日、幼い子供の腎臓提供者が見つかったと部下から連絡があって大喜びでした。

しかし・・・・・・あの日マナーウは小児腎不全が悪化し心血管病の合併症であっけなく息を引き取ってしまいました。

妻も兄達もそして私にとって・・・・・・突然の死は絶えられない大きな悲しみでした。

突然、ふと私は娘に腎臓を提供するはずの子が気になりました。

移植のその日にマナーウが死にました。偶然とは思えなくなりました。

マナーウの魂がその子に宿ったような気がしてならなかったのです。

私は部下に命じてその子供を連れてこさせました。その子供がサパロットです。その子がどのような経緯で腎臓を提供することになったか部下から詳しく聞いていませんでした。

しかし、当時サパロットが泣きながら誘拐された状況を話してくれたので推察は出来ました。

サパロットを死んだマナーウのように愛してきました。

まさにマナーウの魂がサパロットに乗り移っているようでした。

あれから何年経ったのでしょう。もうサパロットはかけがえのない家族の一員となっているのです。

昨日、妻からニンさんの電話の内容を聞き、部下に話しました。

部下は、
「すべてお任せ下さい。閣下は何も知らないことにして下さい」

それで・・・・・・私は部下にすべてを任せることにしました。

サパロットを誘拐した組織はおそらくマフィアのシンジケートでしょう。

密告者、裏切り者は地の果てまで追っていきます。

昨日、亡くなられた方には気の毒だったと思っています。

しかしこれでこの件には、シンジケートはもう一切係わらないはずです。

いずれにしろ、ビッグベアさんには大変すまないことをしたと思っています。

このとおり謝ります。長い間悲しい思いをさせてすまなかった」

閣下はそう言うと、ビッグベアに深々と頭を下げた。

ビッグベアはサパロットをちらっと見て、 「閣下、頭をあげて下さい。わしのような者に頭を下げないでください。本当のことを言って下さっただけで感謝しています」

ウイナーに変わってチャイキットが続けて話した。

「昨日、サパロットと家族全員で話しをしました。起こったことはもうとりもどすことはできません。

でもこれからの未来は人の努力で築けます。サパロットは言いました。

お父さんを一人で暮らさせるのはかわいそうで一緒にいたいそうです。

でも私達もサパロットのいない生活は考えられません。学校の成績もよく今の学校を続けさせたいとも思っています」

ビッグベアは涙を流しながらチャイキットの言葉に割って入った。

「ノックに学校を続けさせてやってください。俺はノックが幸せで生きていればもういい。

ノックをここの家族として育ててやってください」

「おとうさん・・・・・・」ノックは実の父親のビッグベアを見つめた。

チャイキットは話しを続け、
「ビッグベアさん突然ですが・・・・・・どうでしょう、私達家族と一緒に暮らせませんか。

屋敷内に祖父が住んでいた一軒屋があります。今は誰も住んでいないのでそこにサパロットと一緒に暮らして下さい。

サパロットは普段どおりに学校に通い、私達家族と一緒にご飯を食べます。

ビッグベアさんは、この屋敷のガードと庭の手入れを手伝ってください。相応のお給料を出させていただきます」

ビッグベアは突然の申し出に戸惑ってニンと俺を見た。

ニンはビッグベアの代わりに 「少し考えさせる時間をあげてください」とチャイキットに言った。

「そうじゃあないだろう。考えることはない、ビッグベア。

すべて完璧なことはない。それと先ほどきれいな奥さんが言ったとおり、時間は逆に戻すことができない。

今の話しは現状ではベストだ。将来、変だったらまたそこで考えろ。受けろ、この話」

きれいな奥さんと言われたチャイキットが、俺に急速に好感を持ってか笑いかけている。

「ありがとうございます。そうさせていただきます」

ビッグベアは皆に頭を下げた。

 「灰皿あります」

 メイドが灰皿をもって来たので、煙草に火を点けた。

「ところで、大将さんでしたっけ。

部下がやったことじゃあ、すまされないでしょ。

昨日、あんたのせいでシーアって男が死にました。シーアは、今回のノックを誘拐した男です。

幼いころ親に捨てられ、売春宿で育ちました。

小さいころからずっと悪、そりゃあ、学校にも行けず、地獄のような生活だったからかも。

だからって、奴がやったことが赦されるわけじゃあない。

同じような不幸な奴でも悪いことをしないで頑張っている奴もいる。

なぜだろう・・・・・・シーアは今回、殺されるかもしれないと思いながらノックのことを話してくれた。

それでね、シーアの死に際の言葉が「何のために生きてきたのだろう。人に感謝されることを一度はしたかった」なんです。

そこで、大将さんに頼みがあります」

ウイナーは、しばらく俺の目を見て、 「なんでしょう?」

「シーアの名前でスラム街の学校に、毎年、寄付をしてくれませんか。学校にいけない子が行けるように。

そしたら「シーアさんありがとう」って感謝する子供がいるでしょう」

「わかりました。ほかに何かありますか」

「実は彩夏さんという日本の女性が覚醒剤販売目的不法所持でバンクワン刑務所に入っています。

ノックの誘拐事件を調査していて罠にはめられ、濡れ衣を着せられました。無実です。すぐに釈放してください」

「・・・・・・そんなことまで。申し訳なかった。すぐに手配しましょう」

「ところで、あそこにあるブランデーはルイ13世ブラックパールですよね」

チャイキットに言うと、 「良かったら、お持ち帰りください」

チャイキットはご機嫌よくにこにこ笑って俺を見た。

閣下もつい、笑って、 「木村さんって、面白い人ですね。持って帰って下さい。

それとこれを縁に我が家に遊びにきて下さい。

もちろんニンさんもお願いします。プンちゃん、これからも仲良しでいてやってください」

一週間後にビッグベアは閣下の家に引っ越すことを約束し、閣下の家を去った。



泰田ゆうじ プロフィール
元タイ王国駐在員
著作 スラム街の少女 等
東京都新宿区生まれ