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シャンパーニュ・ジョヴェール・ジラルダン

シャンパーニュ・ジョヴェール・ジラルダン

200周年を迎えたシャンパーニュ・ジョヴェール・ジラルダン社はシャンパン業界に欠かせないメーカーです。

シャルル・ド・カザノーヴ城

シャンパーニュ・ジョヴェール・ジラルダン社は「家族」と「献身」というふたつの言葉を原理にし、代々大切に受け継がれた技術をシャンパンに表現しています。 最高のブドウ及び醸造を大事にする卓越した技能を活かして、独特のスタイルを提供します。

200周年を迎えたシャンパーニュ・ジョヴェール・ジラルダン社はシャンパン業界に欠かせないメーカーです。伝統と現代性を調和するシャンパーニュハウスで、シャンパーニュ地方の中でもっとも古いシャンパーニュメーカーの一つであり、200年を通じて、伝統・モダニティ・力強さという概念を現実化しました。

ジラルダン畑

名前の由来
16世紀に、ガラス職人のビジョ家の息子が自己の腕を磨くために、当時のガラス工の世界中心であったベネチアへ留学した。帰国してから自分の名前に「カザノーバ」(「新しい家」という意味)を加えました。※フランス語化すると「カザノーヴ」

ブランドの発展
1811年に、当時24歳のシャルル・ガブリエール・ド・カザノーヴは、コート・デ・ブラン(「白ブドウの丘陵地帯」という意味)にあるアヴィーズでシャンパンハウスを設立しました。

しかし、設立者よりもブランドの発達を促進したのは、1818年に生まれた息子のシャルル・ニコラでした。 彼はビジネスマンでありながら、エペルネー区園芸協会の会長として勤めていました。植物学者としてネアブラムシと戦い、シャンパーニュ・ジョヴェール・ジラルダン社の令名を馳せました。

当時、王侯貴族や政治家に好まれ、オーストリアのメッテルニヒ公爵、フランス第三共和政大統領のマクマオン、サディ・カルノー、エミール・ルーベにワインを提供し、イギリスのエドワード7世は自分専用のラベルでフランスから輸入していたほどです。 1902年に、英仏協商の糸口となるエドワード7世の来仏の際、 気に入りの1893年シャルル・ド・カザノーブ・シャンパーニュ・ブリュットを用意したといわれています。

ジラルダン畑

高まりつつある人気
今日ではシャルル・ド・カザノーヴ社はシャンパーニュ地方とシャンパーニュ人の名声を高めるように映画や音楽などの分野で芸術プロジェクトをサポートし、イベントをプロデュースしています。

  • Comedie de Reims(ランス市の有名な劇場)の特権パートナー
  • 1991年5月に、カンヌでCahier du Cinema(映画評論雑誌)の40周年をプロデュース
  • 1992年に(第45回)カンヌ国際映画祭のパートナー
  • 1992年にエペルネー市議会の協力を得て、エペルネー市が1週間、ジャン=ピエール・モッキー監督の「Le mari de Leon」の撮影所となりました。
  • 2002年から、Flaneries musicales de Reims(ジャズ、クラシックなど音楽祭)のパートナー

ジラルダン畑

先祖代々受け継げられた伝統が進んでいく
現在、高性能のワイン醸造技術を持ち、年に300万本を生産。 主にステンレス樽で醸造させますが、木のふくよかな香りをつけるために、オーク樽で醸造させるワインもあります。 ワインはシャンパーニュ地方の伝統的な地下石灰層の洞窟を利用したセラーの中で熟成させます。

産地特有の味: シャンパン愛好家に最高の味を提供するために伝統的な作り方を守りながら、進化するメーカー。 世界中で楽しめるシャンパンです。

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