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私と柔道、そしてフランス… - 第四十四話 帰国、そして就職!(その二)-

【安 本 總 一】
早大柔道部OB
フランス在住
私と柔道、そしてフランス…
2019年5月23日

- 第四十四話 帰国、そして就職!(その二)-

 久し振りの日本を楽しむ余裕もなく、6月に入るとすぐに日本電子人事部に連絡を取りました。私のことは話が通っていたようで、スムースに藤代正巳専務との面接をアレンジしてもらいましたが、当日、東京都下・昭島の本社を訪ねると、労働争議のまっ最中!ロックアウト状態の中をなんとか入りこみ、面接に臨むことができました。

 面接のような場面は大の苦手、ガチガチに固くなっていた私ですが、その緊張をほぐしてくれたのは、専務の穏やかな雰囲気でした。そして「いまさら、面接試験でもないので、その代わりに、パリでアルバイトをしていた一ヶ月の間に会った社員の人物評をしてください!」

 想像だにしなかった問いに最初は戸惑いましたが、思い出すまま、竹内支配人を初めとして7、8人の人となりを伝えますと、「当たってるね! 合格です!」 狐につままれたような気持ちでしたが、嬉しさもジワジワ沸いてきました。

  ただ、労働争議も影響していたのでしょう、「切りの良いところで、9月から出社してください」と申し訳なさそうに言われました。帰国したばかりの身にとっては却って都合が良いタイミングでした。

  このタイミングのおかげで、帰国報告に伺った恩師・大沢貫一郎先生からの要請も、余裕を持って引き受けることができたのです。それは、8月末に開催されるユニバーシアード(国際大学スポーツ連盟が主催する「学生のためのオリンピック」)に初めて参加する柔道競技の運営責任者・全日本柔道連盟の老松信一先生の助手として協力することでした。

  この大会では、日本が団体戦を含む全7階級を制覇して、実力のほどを示しました。フランスからは、ピエール・アルベルティニ(故人)、ジャン=クロード・ブロンダニ、ピエール・ギシャール、アンリ=フィリップ・ゴビー、リシャール・ベルジュレ(故人)の五名が参加して、内三名(ブロンダニ、アルベルティニ、ベルジュレ)が銅メダルを獲得し、団体戦も銅メダルでした。アルベルティニ、ブロンダニ、ギシャールは、私がフランス滞在中に頻繁に顔を合わせ、稽古した仲でした。

 また、大会係員の中に、すでに帰国していたフランスでのコーチ仲間の大国君が含まれていて、再会を喜び合いました。

 さらに、会場のフランス語放送を担当していたのが、中川正輝氏でした。このことは、数年前に、彼自身の口から聞いて知りました。彼は1963年に、慶大商学部在学中にフランス・グルノーブルに留学し、慶大柔道部員でもあったことから、グルノーブルでも稽古を続け、そこで、前述のゴビー、ベルジュレ2選手とも知り合ったのです。その後、フランス三井物産社長、パリ日本文化会館第二代館長を歴任した逸材です。

 私は、現在もフランスで、「国際柔道選手OB会」の名誉会員として仏柔道界の各種イベントに参加していますが、これもこれら仏選手との関係を大事にしてきた賜物だと思っています。残念ながら、五名中二名は他界してしまいましたが。

1967 ユニバーシアード大会 仏チーム 左から:ベルジュレ、ギシャール、ゴビー、アルベルティニ、ブロンダニ
【1967 ユニバーシアード大会 仏チーム】  
左から:ベルジュレ、ギシャール、ゴビー、アルベルティニ、ブロンダニ
44年後も離れ難い仲間 粟津先生と...
【44年後も離れ難い仲間 粟津先生と...】

  話は飛びますが、この年10月頃、第二十六話でご紹介した「フランス黒帯第一号」と目されるフォルテュネ・オーブレ氏が夫人と共に46年振りの日本を訪れました。お世話になった日本人が各地から集まったことは言うまでもありません。

  オーブレ氏は、12歳から21歳までを過した横浜を中心に精力的に各地を訪ね、7年間その生徒だったセント・ジョゼフ・カレッジの前では、感極まって大粒の涙をながしたとのこと。フランスから氏に同行して案内役を務めた富賀見先輩の談です。

セント・ジョゼフ・カレッヂ前で】 左からオーブレ氏、富賀見先輩、押切義春先生(明大出身・チュニジア柔道の父)
【セント・ジョゼフ・カレッヂ前で】 
左からオーブレ氏、富賀見先輩、押切義春先生(明大出身・チュニジア柔道の父)

 次回は「第四十五話 初出社!」です。


筆者近影

【安 本 總 一】
現在




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