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私と柔道、そしてフランス… - 「第二十四話 パリの日本人」-

【安 本 總 一】
早大柔道部OB
フランス在住
私と柔道、そしてフランス…
2018年8月16日

「第二十四話 パリの日本人」

アリアンス・フランセーズ学生証
【アリアンス・フランセーズ学生証】

  大国君と私のパリ定住が決まり、午前は語学学校でフランス語学習、午後は週4日(月・火・木・金)、INS(国立スポーツ研究所)で柔道チームの稽古台という日程で、いよいよ本格的なパリ生活が始まりました。

  私のフランス留学の第一目標はフランス語学習でしたので、パリ到着直後に1883年創立の有名語学学校Alliance Française(アリアンス・フランセーズ)の初心者コースに登録し、1966年1月まで在学して、みっちりと勉強しました。

  日本館で同室に寝起きすることになった大国君も、私に引きずられるようにアリアンスに登録したところ、私と同じクラスに配属され、同級生になりました!その後彼はどんどん上達し、誰よりも多くのフランス人の友人を得ることになります。また、アルゴ(俗語)のスペシャリストになり、とくにINSの仲間とはアルゴをよく使い、それで新語を作ったりして皆を笑わせていました。

アリアンス・フランセーズ初級クラスの授業模様 奥に大国君が
【アリアンス・フランセーズ初級クラスの授業模様 奥に大国君が】

  さて、55年前のフランスの在留邦人数は、日本大使館によりますと、300~400名だったそうで、それに対して、2017年10月1日時点での在留届を提出した邦人数は42,712名までになっていて、隔世の感をひしひしと感じます。

  当時の日本大使館は、毎年暮に留学生の歓迎会を、元旦には新年会を催して、在留日本人はお節料理の大盤振る舞いにあずかっていました。その後、為替管理の緩和・為替取引の自由化の影響で来仏する日本人の数が急激に増えてからは、これもいつの間にか中止になりました。

  ショックだったのは、一般のフランス人の日本・日本人に対する知識・意識の低さで、我々日本人はいたる所でなんとなくやるせない思いをしていました。

  一例として、“日本とは東洋の南国で、首都は香港!”といった程度の認識しか持ち合わせていない、日本に雪が降ることも知らない人々がかなりいました。街では、「ヴェトナム人?」「中国人?」と尋ねられるのは日常茶飯事でしたし、「日本人です!」と答えると、しばらく物珍しそうに見つめられる、といった経験をしたのは私一人ではなかったと思います。残念だったのは、「日本人?」が最後まで出てこないことでしたが、それまで日本人に会ったこともなかったのでしょうから無理もないと、諦めざるをえませんでした。

懐かしい大型広告パネル
【懐かしい大型広告パネル】

  そして、少しパリの生活に慣れ、余裕ができてくると、それまで抑えてきた、日本の味・香りを追い求めるようになります。そのころは、今のように、日本食材店もなく、日本人が集まると、いかに日本の食料品を手に入れるかという話や、代替品に関する情報交換で盛り上がったものです。

  そんな中、大国君がまず得た情報が“ビールとパン床の漬物”でした。ビールとパンに塩を加えた床に、きゅうり・ニンジン・大根などを漬けるだけという簡単なレシピですので、二人で試してみた結果、大成功!先年、インターネットで調べてみたところ、驚いたことに、このレシピは、現在では一般的レシピとして紹介されていました。

  さらに、その当時はどこにも売っていなかった、日本食に欠かせない醤油の代替品が存在するという情報を得て、調べて見ると、食料品店・スーパーで簡単に手に入るヴィアンドックス(VIANDOX)という、暖めて飲むインスタント・スープであることが判明しました。牛肉エキスと大豆を主な材料としていて、戦後間もないころに日本で出回った“醤油”の代替品“アミノ酸醤油”そのものでした。

  日本館を出て、17区の屋根裏(女中)部屋で生活するようになってからは、学生食堂での食事が中心でしたが、自炊にも力を入れていましたので、これらの情報はとても貴重で、とくに“VIANDOX”にはしょっちゅうお世話になりました。これで“すき焼きパーティー”まで開いていました。

私の屋根裏部屋は7階に!
【私の屋根裏部屋は7階に!】

 最近、近くの小型スーパーに“キッコーマン しょうゆ卓上ビン”と“VIANDOX”が仲良く並んで売られているのを見つけました。また、TOFU、SHIITAKE、EDAMAMEなどもフランス人の生活の中に入り込んでいます。変れば変るものです。

  また、パンテオン(注1)の裏にラーメンが食べられる中華料理屋があるというので、大国君たちと早速行ってみると、ラロミギエール通り(Rue Laromiguière) の“光明”というお店でした。“ドゥミソース(Demi Sauce)”と名づけられたラーメンを、餓鬼のように頬張ったことを思い出します。このラーメンにはすっかり病みつきになり、チョクチョク訪れるようになりました。

新居に落ち着いて
【新居に落ち着いて】

  現在も55年前と変らぬ店で、全く同じアルミ製の器に入った同じ味のドゥミソースを食べることができます。

  尚、この“Demi Sauce”と“VIANDOX”のことは、やはり1963年に来仏され、今も現役で活躍されている赤木曠児郎画伯の著作『私のファッション屋時代』のなかでも紹介されており、当時のフランス在住の日本人には忘れられない想い出であることが伺えます。

(注1)
パンテオン:フランスを代表する作家・思想家・政治家が埋葬されている霊廟。

 次回は「第二十五話 柔道からJUDOへの兆し」です。


筆者近影

【安 本 總 一】
現在




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