RSS

私と柔道、そしてフランス… ー 第七十九話 特殊な世界 「美容業界(その一)ー

【安 本 總 一】
早大柔道部OB
フランス在住
私と柔道、そしてフランス…
2020年10月1日

- 第七十九話 特殊な世界 「美容業界」 (その一)-

 「美容業界(注1)」は、ロレアルにとっては生れ故郷のような存在です。

 1907年、パリ・オペラ座にほど近いアパルトマンで、創始者ウージェンヌ・シュエレールが、画期的な染毛剤(ヘアカラー)を開発して、これをパリの美容室に自ら売り歩いたことが、ロレアル誕生の起源といわれています。

 それ以来、ロレアルが進出を図る国々では、まず、ヘアカラーを中心とした技術製品を美容室に売り込みます。そして、その国に教育センターを作り、売り込みに成功した美容室で働く美容師たちを招き、徹底的に使用技術を教え込んできたのです。

 もともとパリ本社には、創業者が世界中の美容師のために設立した教育センターがあり、日本からも多くの美容師が教育を受けに訪れていました。その結果、1960年代初頭の日本の美容業界ではロレアルの日本進出を期待する声が高まる一方でした。

  こうした中で、コーセーがロレアルとの技術提携契約に成功したのです。1963年のことでした。

  コーセーは、ロレアルの指示に忠実に従って、教育センターを作り、デモンストレーター(インストラクター)を採用して、製品を教育と組み合わせて美容師に使ってもらったのです。こうして「教育のロレアル」という呼び方が定着します。

 それに加え、1974年に発売した新しいタイプのパーマ剤“ミニバーグ”が大ヒット!翌年には、店販品(注2)として発売したシャンプー/トリートメント・ライン“トレタン”も大ヒット。

 その結果、ロレアルの「美容室向け製品部門」は日本の業界トップに育ちました。

 この活発な美容業界に私が本格的に係わり始めたのは、1991年、ロレアル関連会社が代々木の新築ビルに集結してからです。

代々木オフィスにて
【代々木オフィスにて】

 それまでこの業界と接触する機会がまったくなかった私はにわか勉強に没頭するしかありませんでした。第六十二話で記述したとおり、日本、フランス、イギリス何れでも、散髪は床屋で済ましていましたから。 

理容室(床屋)を示す3色のサインポールはインターナショナル
【理容室(床屋)を示す3色のサインポールはインターナショナル】

 やむなく、生れて初めて六本木の美容室に足を踏み入れることになりました。若い男性美容師がカットをしながら私の質問に丁寧に答えてくれただけでなく、閉店後にも説明の時間を作ってくれました。

(注1)
美容業界:1983年頃の日本全国の美容室数は、約17万店舗に上りました。

(注2)
店販品:美容室で消費者に販売されている物品。シャンプーやトリートメントのようなヘアケアー商品を販売するのが一般的だが、化粧品、食品、アパレル、アクセサリーなどを販売するケースも増えている。究極の推奨販売ができるメリットがある。

 次回は -第八十話 特殊な世界「美容業界」(その二) - です。


筆者近影

【安 本 總 一】
現在




▲ページ上部へ


ページトップへ