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私と柔道、そしてフランス… ー 第七十話 日仏武道倶楽部誕生ー

【安 本 總 一】
早大柔道部OB
フランス在住
私と柔道、そしてフランス…
2020年5月21日

- 第七十話 日仏武道倶楽部誕生 -

 1976年7月、私の帰国に遅れること2ヶ月で、家族が来日。9月には、子供たち(美代子/健)が千代田区富士見の「リセ・フランコ・ジャポネ・ド・トウキョウ(現・東京国際フランス学園)」に入学しました。

 この学校は、1967年に私立学校「暁星学園」の中に創設された国際部日仏科が1973年にフランス政府管轄となり、1975年に「リセ・フランコ・ジャポネ・ド・トウキョウ」と改名されたものです。在日フランス人や日仏夫婦、フランス語圏出身者の子供、日本人帰国子女などが学んでいます。

 バカロレア(注1)の取得も可能な幼・小・中・高の揃った一貫校で、長男は幼稚園、長女は小学校へ入学しました。

 しばらくして大国伸夫君から、このリセの体育教師で柔道有段者のジャン=クロード・ボニエ先生に紹介されました。先生は「リセの生徒達に柔道を経験させるため、リセの柔道部のような形で柔道クラブを作りたいので、協力して欲しい」と言うのです。

 私の子供達に柔道を習わせようとしていた時でもあり、願ってもないこの依頼に積極的に協力することにしました。

 そして、先生の企画力と精力的な実行力とによってクラブ設立計画はとんとん拍子に進み、「日仏武道倶楽部」が誕生しました。とりあえず、「名誉会長:大国伸夫、会長:安本、技術コーチ:ボニエ」の体制で、道場は「暁星学園」の道場を借りて、1977年9月の新学期に活動を開始しました。

 健・美代子共に、率先して稽古を始めました。

1978年 暁星学園の道場にて
【1978年 暁星学園の道場にて】
最後列: 右・ボニエ先生、左・安本
安本の前: 右・美代子、左・健
1978年 パトリック君、チャンと受身をとってますね !
【1978年 パトリック君、
チャンと受身をとってますね !】
何故か床の上で!

  美代子は4年後(?)、健康上の理由で止めましたが、健は夢中で続けていました。そして、1977年2月に生れた次男・純も5歳で、待ってましたとばかりに稽古を始めます。

1982年 家でも稽古
【1982年 家でも稽古】
純が背負い投げで親父を攻める!
【純が背負い投げで親父を攻める!】

 当初はそれほどでもなかった「倶楽部」の生徒数は、年々増え続け、それにつれて、試合などの関連行事も増加し、学校の体育授業を抱えるボニエ先生一人では全生徒の指導は難しくなりました。道場も広い武道館に移りました。

ボーニエ先生と子供達

【ボーニエ先生と子供達】

 そこで、新たに当リセのもう一人の体育教師で、同じく柔道有段者のミッシェル・ムーニエ先生と、武道館の鈴木義和先生の二人に協力してもらうことになりました。

 1984年には、健が嬉しい嬉しい初段に昇段しました。小さい身体でよく稽古に励んだものです。

1984年 健(前列中央)初段に昇段!
【1984年 健(前列中央)初段に昇段!】
前列:右・健
後列:左から二人目・鈴木先生、ボニエ先生、一人置いてムーニエ先生、安本
 

  そして、1986年には、17ヶ国(フランス・スイス・カナダ・コートディヴォワール・セネガル・日本等々)・130名の子供たちが「倶楽部」に登録していました。当時の日本では特筆できる規模の柔道場に成長していたのです。また、実力の方も多くの団体戦・個人戦で華々しい成果を挙げていました。

 さらに、「日仏柔道倶楽部」設立10周年を記念して「第一回国際少年柔道大会」を開催しました。30ヶ国・約300名の選手を集めた画期的なこの大会は、国際親善に大いに寄与するとして、評判になりました。ちなみに、参加したチームは、ドイツ学園、セント・メリーズ・インターナショナル・スクール、アメリカン・スクール・イン・ジャパン、日本武道館武道学園、松前柔道塾、敬愛塾等々・・・でした。

第一回国際少年柔道大会のプログラム
【第一回国際少年柔道大会のプログラム】

 この大会の成功はひとえに、鈴木義和先生と父上の鈴木義彦八段の、微に入り細にわたる大会準備・運営の指導のおかげだと、今でも深く感謝しています。

 ボニエ先生が任期を終えて帰国した後は、ムーニエ先生が「倶楽部」を引継ぎ、鈴木先生も元気に指導を続けておられます。2012年にリセ校舎が北区滝野川に移転した際には、立派な柔道場も設けられたとのこと。二葉目の写真のパトリック少年が今は指導者として定期的に道場に現れることなどを聞いて、移り行く時の早さを感じています。 

(注1)
バカロレア:日本の高校卒業資格にあたるが、フランス全国で一斉に行われる国家試験で、高校生にとっては大きな試練である。

次回は「第七十一話 新製品開発の難しさ」です。


筆者近影

【安 本 總 一】
現在




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